生きてる上で重要なのは金でも時間でも自由でもなく面白いかどうかなんだと思う
俺が面白いと思えてれば万事がOKだし俺がつまらないと思えば全てがダメ
シンプルにそういう話だ
じゃあ俺にとって面白いとはなんなのだろうねということになる
色々面白いはあるけど
・やり過ぎれば飽きる
・金がかかり過ぎる
などの障害を乗り越えねばならない訳で
人間にとって不朽で不変の面白いなどそんなには存在しないというのも何となくは分かってしまう
そしてその面白いも千差万別十人十色な訳で
俺にとっての面白いは誰かの苦痛でしかないのだ
じゃあ面白いとは結局何だ
俺はどう生きればいいということになる
一つの話として俺の面白いの中に「正しい」というのがある
正しければ面白い、正しくなければつまらない
と言った普通の人にとってはそれの何が面白いのか理解のできない概念かもしれない
なぜ俺が正しいことを楽しいと思うかは俺の周りが正しくないゴミばかりだったことももしかしたら起因しているかもしれない
だがそんなことを抜きにして正しく凄ければ面白い、それも圧倒的に
イカサマなしの力と力で勝負し勝つこと、或いはそういった勝負そのものが面白い
つまりこれは球穢れなく道険しということだ
正しいが面白いとは球穢れなく面白いということなのだ
つまり中西球道とは正しく面白いということなのだ
水島さん、あんたも分かってたんだろ
岩鬼や山田、その他明訓の面子は微笑以外皆ただのインチキだって
そう、奴らはただのインチキ野郎だ
正しく面白い球道の引き立て役でしかない
馬鹿は明訓を見て喜び笑うが賢者は球道を見て正しく面白がるのである
これがドカベンという作品の万物に向けた渾身の構図である
馬鹿は勝たせて喜ばせばいい
賢者は正しさを見せて面白がればいい
それが水島の我々に向けたメッセージなのである
球穢れなく道険し
道険しとはそのまま面白いと思うようになるまでの道のりを指している
それは一部の超人や才能のある者にしか到達できない領域
球穢れなくを愛せる面白く思える心意気の壁の高さ
私は既にそれを越えてしまったらしい
これが孤高の見た景色
これが球道の見た光景か
なんとも清々しい晴れ渡る白の景色だ
私は自由になる
自由な猿へ
正しい猿に