二階堂の考察

二階堂地獄ゴルフを読んでて読み返してみると薄々分かったことがある

勿論それは確定していないあくまで予測の範疇ではあるがもう現時点で大分ヒントは出されたなと思う

俺の予想では二階堂の今の能力はただの実力による錯覚だと思う

要するにただの勘違い

なんか知らんが数秒先の未来が見えるようになっちゃったせいで修正出来るようになってるだけだと思われる

読み返すとそんなフラグも描かれていた

・バンカーショットで100球連続グリーンの中にボールが入った

・崖際でのドライバーで全く曲がらない

要するに二階堂はついにゴルフの極意を掴んだのだ

その自覚が本人には全くないだけの話でそれを我々は見せられている

ただそれだけの話

 

つまり極端な過去に飛ぶというようなSFの展開も勿論無いし

おそらくは48歳からの遅咲きゴルフプレイヤーとしての活躍をこれから見せられるのだろう

それが面白いかは不明だが

 

まぁ無難と言えば無難な気もする

凡庸な凡作

ギミックも仕掛けようのない構成なのであとはもうダラダラと分かりきってる話を延々と見せられる展開になるのだろうなと思う

それを否定もしないし批判もしないし手放しに肯定することもない

ただのありきたりな日常的な物

サザエさんクレしんの脚本を良くも悪くも言う意味がないのと全く同じで

ただただそういうありきたりな作品だというだけの話

そしてそれでいい

無理に話を背伸びして難しくしても不時着して滅茶苦茶に破綻するだけだからだ

自分の実力以上にみせようとすればそれは必ず失敗に終わる

勇敢な挑戦と無謀な自滅は全く意味が違う

 

じゃあつまり何を見せたかったのだろうな

20代半ばから初めて48歳で開花する話を見せて

それを我々に見せてどうしたかったのだろうか

諦めんなってことなのか戦えってことなのか

人生ってそういうものなのか

或いは意図など何も無いのか

俺は作者じゃないので何も分からない

ただ俺がもしこんな作品を書いて世に出すのだとすれば「チープでガムシャラだけど皆頑張って」と伝えたいくらいの意味しか見出せない

そんなことを俺は書きたいだろうか?

俺はそんなお人好しじゃないからそんなことは決してしないのはわかる

俺はどこまでいっても自己完結人間で他人がどうなろうと知ったことではない

 

俺が望むのは俺のやりたいようにやるだけ

 

ニーチェでいう力への意志と言ったところか

夢なんか叶わなくてもある程度人間自由に生きられる

夢なんて無理に叶えなくていい

それよりも大事なのは今やりたいことをやりたいようにできているか

それが大事だと思う

つまりは自分の欲望のままに生きる

稼ぎたいだけ稼いで休みたいだけ休んで遊びたいだけ遊んで働きたいだけ働く

 

まぁつまりは楽しみましょう

楽しめなくても楽しめたらラッキーくらいに思って生きられたら

何も望まずに全てを望む

無は全であり全は無である

何も期待せず何も望まなければ全てを手に入れられる

無欲こそが最大の勝利だ

「バカであれ、貪欲であれ」と言ったジョブズ

そんな彼はフルで動き回り闘いまくり動き回る

 

俺はそれをしない

したい時にそれをするだろうが

今はそれをしない

例え出来ても今はしない、戦わない

ゆっくりと生きる

何もせず生きる

何も手に入れないことが何も為せないことが全てを手に入れる

何も手にするな何もするな

ただじっと生きてればいい

生きてるだけでいい。

 

孤高だ

孤高に生きる

孤高に生きて何もなくて空っぽだ

全は無であり無は全である

何もないことこそが全てである

空っぽが全てだ

空っぽこそが全て

 

以上でございます