二階堂地獄ゴルフの小人の考察

この作品の象徴的な存在

それが二階堂が落ち込んだ時に現れる小人

この小人は現れる度に二階堂に「ニカイドゥ-」と呼び続ける

こいつの正体は何なのか?

それがこの作品を読んでいく上で浮かび上がるテーマだ

 

そもそもがこの作品自体が福本伸行の思想でしかない

つまりは大半の登場人物や事象は全て福本伸行自身の考えに帰結すると言ってもいいだろう

つまりは二階堂は福本伸行だし小人もまた福本伸行なのだ

だいぶ暴論ではあるし多少の差異があることは認めるが概ね大雑把で見れば多かれ少なかれ全ては福本伸行なのである

まぁその真意の程はそれくらいにして要するに何が言いたいかと言えば全てに意味はあるということ

つまり小人も福本伸行の思想によって登場させられているギミックでしかない

つまり福本伸行が何を考えているかを理解出来れば小人の目的も分かるということ

では小人とは何なのか?深掘りしていきたい

まず小人の主な条件は以下の2点

・二階堂にのみ視える幻視

・二階堂が落ち込んだ時にのみ現れる

 

そして必ず「ニカイドゥー」とだけ二階堂に呼び続ける

様々なフィクションでこの手の存在って大抵悪意のある存在なことが多い

だが今回はそれではない

何故なら心の中の悪意ある悪魔は悪魔でまた別で存在しているからだ

なのでその可能性は低いと思われる

となるとこの小人の目的は二階堂を励ましているという存在になるのだが

じゃあ何の為に?何の意味が?と私であればなるのだが

そこはまぁ福本伸行の思想なのだろう

落ち込んだ時には何者にでもいいから励まされたいという意思が著者にはあるのだろう

俺は落ち込んだ時はパイカツカイデーなチャンネーに抱きつきたいけども

いやそれは何も落ち込んだ時に限らない

常にそうだった

私は常に巨乳の若い女に抱きつきたいのだ

それを法律や常識で制限を受けているこの世はとんでもない地獄と言えるだろう

それでも生きるしかない、この地獄を

これが地獄巨乳だ

話を戻そう

つまり二階堂を励ます存在

それが小人の正体でありそれ以上も以下もない

なので特に意味はない

作中でも匂わせるだけ匂わせまくってその結果私が気になり過ぎてこのような文を書くハメにまでなっているが

特段に意味はない

意味がないことを意味があるように見せる福本伸行のいつもの手法だ

作家とは基本的にホラ吹きだからな

ありもしないことをさもあるように語るのがストーリーテラーと呼ばれる者の正体だ

つまり小人は勝手に現れ勝手に励まし勝手に消えていく作中の表現通りの存在でありギミックだ

そこに特に意味はなく伏線もない

そう断言するのは自分でもどうかと思うが広げようがない

この小人が何か意味があるのだとしても「だから何だ?」という範疇を越えられない

伏線にしては寝かせ過ぎ(作中内で13年が経過)でやってることの幅が狭過ぎ(ニカイドゥーと呼ぶだけ)

もしこの小人に重要で重大な意味があるのだとしたらもっと何らかのアクションをすべきだった

ここから二階堂が宇宙の果てかなんかに行きつき4次元世界に閉じ込められて宇宙人の協力の元過去の地球の自分に対してメッセージを送るようなインターテスラーかのような伏線の回収をされても「意味わかんねえしくだらねえ」となるだけだ

それを伏線回収ですと言われても乾いた笑いが響くだけ

つまりまともな回収は既に期待できないと個人的に感じる

ならばもう意味を持たせない

そもそも意味なんかないことにしておいた方が事故がないし無駄がない

そうするとそもそもこんな存在自体に意味がないことになるがまぁ別にこの作品自体に何かしらの意味も特にないのだとすれば無意味と無意味を掛け合わせた反転となるやもしれないし無意味だからこそ遠慮なく無意味を注げるとも言える

作内でも無意味なオヤジギャグばかり連発するしそういうことなのだろう

つまり小人も作品も全ては無意味という結論に行き着くとなる

まぁそれが悪いとかダメとかはない

ただただそういうジャンルの作品なんだなと

ナンセンスというか虚無というジャンルの作品

虚無ギャグ漫画

それが本作の本質なのかもしれない