人生とは厄災であり人間とは現象である

厄災に正義はない

悪との区別もない

 

と、つまりワンダーオブU、ジョジョ8部のスタンドの能力である厄災の本質が上記の台詞に集約されているのだが

つまりどういうことかと云うと厄災とはつまり現象なのだということだ

厄災とは現象、ただただそれが起こるというだけの現象でしかなくそこに善も悪も意志はないということだ

つまりそれってこの世の全てにおいて言えはしないだろうか?

この世の現象の全ては厄災でそこに善も悪もないのだとしたら

 

資本主義経済のバイブルである国富論を書いたアダムスミスは神の見えざる手を説いたが

それは市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成される」という論だ

これは多分間違っていてどこかに偏りが出ない訳はなく

その偏りが生じた際に困らない程度に分配していただけの話に思う

これもまた正しいかどうかは分からない意見だけどね

要は何かしら誰かしらで助け合ってるから多少偏りが出てもなんとかなってきたっていう話でそれ以上も以下もない

 

話を戻すと厄災がただの現象なのだとすれば人生における全ても現象でしかない

そしてそこには正義や善悪もない

つまりそれはただの現象なのだ

俺は今まで俺は人と関わってると思っていたが人は人ではなかったのだ

人とは現象

人に正義や善悪はない

人にこんにちはと言えばこんにちはと返ってきたり返ってこなかったりする現象

厄災に正義はなく悪との区別もない

俺の親が俺に虐待をしたのもただの現象に過ぎなかったということ

つまり俺は人から産まれたのではなく現象に過ぎなかったのだ

俺自身とは現象の産物でしかなく俺以外の全てもそれは等しく同じだ

つまり俺も現象だ

俺にも正義はなく善悪もない

俺は厄災であり現象だ

人間も社会も人生も全て厄災であり現象だ

そこに正義も善悪もない

だからこの世の全ては現象でしかない

全ては現象

中身なんてどこにもない

人間なんてこの世のどこにもいない

いるのはただの現象だけだ

つまり俺自身も人間じゃねえってこと

 

明るい光に群がる虫と

美味い店に並び続ける群衆に

 

そこに何の違いもありゃしねぇだろうが

 

この世に人なんていない

いるのはただの

 

現象だけだ

 

以上でございました