時間が経つにつれ

時間が経つことで堪らなくなるほど好きな瞬間がある

それは自分が嫌いな存在が消えてくれることだ

有名人の訃報もそうだしなんならアマチュアの活動してる人間の訃報や引退、撤退なども垂涎の如し気持ちよさがある

人の不幸は蜜の味と言ってしまえばそれまでだが

 

こんなことを新年早々から書くなんて何と自分の終わってることかと思う次第だがそういう新年もまぁ悪くはないだろう

 

別にライバルが減ってラッキーだとかそんな風には全く思わないしむしろ逆でライバルが減れば市場の規模が下がるので衰退を招くと危惧している

ただそれでも嫌いな人間の撤退を喜んでしまうのは私がそれだけ不寛容な性分だからだろう

嫌いなものは断固として絶対的に嫌い

 

極端なんだな、結局のところ

好き嫌いがハッキリし過ぎていて全部自分の思う通りにならなきゃ気が済まないワガママ野郎

いい歳して恥ずかしいね、けれど仕方ない

なかなかこれは治せない

だって嫌いなんだもの

性格の悪い奴らが撤退してくれた際なんかはもう本当に最高の気分になるよ

だからまぁこれを読んでくださっている方々もね

俺が全然人生上手くいかなくてどうにもならないくらい不幸になってるさまを見た際は

もう、それはもうとんでもなくスカッとできるというものですよ

その日が来るのを心待ちにしているといいですね

俺も腐った組織や人物が落ちぶれるのを見るのが堪らなくおもしれーもん

日本や中日や札幌ドームを見ていると笑いが止まらない

ああ、世の中にはこんなどうにもならないくだらねえバカがいるんだという気持ちになる

まるで日本昔話の花咲か爺さんに出てくる悪どい爺さんが酷い目にあうかのような娯楽感がある

これがエンターテイメントですよ

なにが落語、業の肯定だよなと思う

あんなものはチャンチャラおかしい異常者のうわ言だ

業というものは裁かれてナンボじゃろがい

勧善懲悪こそがこの世の理だろうが

悪など栄えていいはずがない

そして善も決して栄えない

だから俺は悪にも善にもならない

ちょうどその中間

裁きもせず裁かれもせずのそのちょうどの間がいい

合理

それこそが俺の全て

悪にもならず善にもならず

俺は俺となるのだ

何かを嫌いながら何も好きになることのない何かに俺はなる

この世の全てよくたばりやがれ