ニヒリズムの時代

ニーチェの予言通りに21世紀はニヒリズムの時代となった

 

全てが虚無

 

そして全てが虚無とはつまり全てが無意味ということ

 

結婚も子育ても金稼ぎも人付き合いも友人の数も物の所有も地位も栄誉も人生そのものさえも全てが無意味

 

それがニヒリズム

そしてそれが価値観の崩落で崩壊である

答えが存在しないのが即ち答えである

"解なし”こそが解である

 

そして我々の大半はそれを直視しようとはしない

全てが無意味だと知っていても分かっていてもそれを直視せずに極めて心地のいい何かや作られた既存の価値観に縋り「全てが無意味である」という答えから逃げ続けている

無論そうすること自体が悪い訳ではない

それも一つの解ではあるが絶対的な答えではない

つまりしたくもないのにそれを選ぶ必要などないってこと

もう100年以上前に「神は死んだ」と言ってのけた大天才がいたにも関わらず未だに今日の人類は自殺を否定し続けている

自殺はよくない自殺だけはダメだと言い続けている

そんな訳はないんだよね

自殺だってしていい

道徳なんてこの世には無いのだから好きに生きたらいい

全てが虚無とはつまりそういうことだ

そして同時にニーチェは超人思想を説いた

全てが無意味でも足掻き続けろと

勿論そんなことを他者に強要する意味も価値もない

それでも超人思想を説いたニーチェの胸の内はよく分からない意味不明な原理だ

そもそもが全部無意味なら頑張る必要も超人になる意味もない

 

ニヒリズムとはつまり老荘思想の焼き直しな部分もあって

全部無意味だから何もするなという老荘と全部無意味でも超人になれというニーチェの違い

そしてそれらはどちらも正しくどちらも正しくない

それがニヒリズム

ニヒリズム+老荘思想ニヒリズム+超人思想というセットであるが

そのどちらもがニヒリズムを塗り替えるでもない乗り越えるでもない解として存在していて

所謂「こういう答えもあるよ、正解ではないけど」というサンプルにどちらも属しているのかなと

答えがないのが答え

正しいがないのが正しく

間違いがないことが間違いなのだ

つまりそれが全てでそれが全てだ

ニヒリズムとはつまりニヒリズムでありニヒリズムである

別に老荘のように何もしない目指さないことを是とする意味もなくニーチェのように超人になる意味もない

どちらも間違っていてどちらも正しい

そしてどちらも答えであり答えでない

だけど人間である以上白黒をハッキリとさせた答えを本能的に我々は本能的に求めてしまう

ハッキリするしハッキリしない

ニヒリズムの明確な答えをあえて述べるならば

ニヒリズムの前において失敗は存在しない

そして同時に成功も存在しない

何をやっても無意味

宇宙の真理を解き明かしたところで虚無

それはつまり何をやっても無駄で

何をやっても無意味なことを指し示している

であれば僕はそれに近い何かを知っていることになる

何をやっても無意味

失敗も成功も存在し得ないもの

それはゲームのことである

つまり成功も失敗も無意味

どれだけ積み上げようと無駄

人生とはつまりゲームである

そしてニヒリズムとはゲーム

 

だから俺はニヒリズム+〇〇ではなくニヒリズム=ゲームだと提言する

頑張っても頑張らなくても無意味

なぜなら、ゲームだから

そしてニヒリズム+楽しむが俺の出す答えである

ニヒリズムだから何もすんなという老荘

ニヒリズムだから頑張れというニーチェ

ニヒリズムだから楽しめという俺

そのどれもが正しくどれもが正しくない

21世紀のニヒリズム時代

俺はこの時代を楽しもうと思う

虚しいことは楽しいことだ

全てが無意味であり全てが無意味である