私の186連勤が終わった
中田敦彦のこちらの動画を観て私なりの雑感を書き綴ろうと思う
簡単にまとめると人口ボーナス期はブラック労働で稼げて上手くいくが、人口オーナス期はホワイト労働で出生率を上げて女性や障がい者などを働きやすくし評価しやすくした方がいいというのがこの動画の主張だ
そしてその為には法律の仕組みから変えて育休や労働時間上限などをキチンとする会社の社会保険料などを減税するようにすればこの方法は機能すると言うのだ
私の感想としては確かに出生率や出生数は増えた方が社会はいいと思う
ただそんなに簡単な話かなというのが私の本音だ
やってもいない段階でするべきではないなどと言うつもりは毛頭ないがこんなシンプルな方法で私は出生率や出生数が改善するとは思えない
勿論ある程度良化はする、するが焼け石に水程度の効果で終わるだろうと目論んでいる
子供の問題はお金の問題とは思わない
もしそうなら金持ちほど沢山産んでないと矛盾することになる
たくさん子供を作って、たくさん教育させて、一族をさらに大きくすればいいのになぜそれをしないのか?
ということになる
精々産んでも2〜3人
育児にかかるコストは何も金だけでなく時間も奪われるかもしれないが子供が大きくなれば下の子の世話もある程度は出来るようになる
なんなら金があるならベビーシッターでもつければいい
でもそれをしないよね
10人くらい産めばいいじゃないか
だがそれをしない
それはなぜか?
まぁ要するに、所謂それは
子供を産むこと作ることにメリットが皆無だからだ
精々ペットを飼って癒されるの延長線上の利点しかない
要するにただのコレクター要素
何のアドバンテージもない
勿論子供が増えれば社会にはメリットがあると思う
だが、個人や一族にとって子供や同伴者という存在は負債でしかない
そしてそうなった背景として便利な世の中になった、いや世の中は便利過ぎるのだ
なんでも個人で完結できるこの社会こそが最大の病巣なのだ
皆打算で生きている
意味もなく価値もない打算で
金は無意味であり時間は無意味であり結婚出産育児は無意味である
最近186連勤していて気づいたことがある
俺、人と関わりたくないって本当に強く思う
他人は無意味であり身内は無意味であり自身は無意味である
究極人生そのものが無意味なんだよね
そしてそれがまぁ真理なんだよね
俺のこの孤高イズムが正しいとか正しくないとかの前に俺は他人や自分が嫌いなんだから仕方なくてどうしようもない
話が最初と脱線してるように聞こえるかもしれないがこれは一繋ぎの一本の糸のように繋がっている
出生率や出生数が低いのはブラック労働社会のせいだからだという指摘に対し
私は結婚や出産や他人や自分や人生に意味がないからだと返しているのである
ニーチェのニヒリズムを提唱する私と労働環境の改善を唱える者との構図
まぁだけど俺が間違っていると思う
というより俺が間違っていて欲しい
なぜならもし俺のいうことが正しかった場合
それはもうどうすることもできない対策不能な答えだからだ
「この水は腐っていて捨てるしかありません」
という答えに行き着くことが何を意味するかなんて考えたくもない
だから都合よく労働環境のせいとか労働者の立場が弱いせいというロジックに縋っていた方がまだ希望を持って生きられるよな
おそらく多分何のせいでもないよ
世の中の成功者、そんなに子供産んでないじゃん
それが全てで、それが全てなんじゃないの
ホワイト労働なら子供が産める、夫が育児に参加できるなら2人目以上が産む傾向
ならもう金持ちは10人20人産もうよ
可能でしょ?お金があるんなら
何で産まないの?
何で産むことを庶民に押しつけてんだ?
猫やネズミみたいに産みまくろうよ、ねぇ、金があるんだったらさぁ!!
でもそれをしない
さぁーてなんででしょうね〜
不思議ですね〜
頼んでもないのに金なら幾らでも稼ぎたくなるのか稼いでるのに
なんで子供は産みまくらないんでしょうねー
不思議だねぇ
俺はもうそれが答えと思うけどね
結局産まない結論産まない
精々産んでも2〜3人
それが全てでそれが全てだ
まぁだから俺が思うに
人生なんか端っから意味ないんだから
何もせずに死んだらそれでいいんだよ
俺は結婚しないし子供も作らない
それが最終解答です