強い種は滅び弱い種だけが残った

恐竜が滅んだように強い種というのは結局滅ぶものなのかなとふと思った

 

昔見た邦題の26世紀青年という映画に「賢い人間は婚期や出産が遅れ馬鹿ほどポンポンと子供を作りやがて世界中の人間が26世紀だととてつもなく馬鹿しかいなくなった」

という内容の映画があったがなんとなくそれに近いと言うか

結局何の為に強くなるのかが分からなくなってくる

 

身体能力の高い者や資産の多い者、容貌の良さや器用さや頭のいい者やら技能の高い者

 

そんなのより何の役にも立たないクズの方がよっぽど有利なんじゃないかと思えて仕方ないのである

強い種は滅びる

それは歴史が証明している

1番上を目指すのではなく1番下を目指した方がいい

つまりそういうことなんじゃないかなと思う

木の寿命の話も結局そういうことで

高みなんて何の為に目指すんだ?

一体何の為に

そして誰の為に

人の役になんか立たなくていい

人よりも優秀になんかならなくていい

勝たなくていいし負けまくれ

結婚なんてしなくていいし親の面倒なんてみなくていい

誰とも関わらず一人でひっそり暮らして生きればいい

自分が好きなんじゃない

人と関わる力がないだけなのだ

そしてそれでいいしそれがいい

その無力が一番ちょうどいい

役に立つ木は必ず切られる

誰にも利用されない木になればいい

なるほどだから負け続ければいいのか

俺は負けることこそが最大の勝ちであり価値なのか

惨めで情けない人生こそが最大の勝利なのだろう

これはただの負け犬の苦し紛れの精神勝利法か?

いや新しい答えなんじゃないか

現に俺は親に恵まれず環境に恵まれず人格に恵まれず仕事に恵まれずともはや散々なクソ人生を歩んでいるが

じゃあ今の俺に幸福感として足りないものとはなんだろうと考察した時

「何も不足していない」という結論に至った

なんでだろうな

俺は何も持っていないのに何も不足がない

それは実は逆で

何も持っていないからこそ何も不足しないのかもしれない

何もないから何もかもがある

 

面白いな

本当に面白く面白い

親に恵まれなかったから親の期待に応える筋合いがなく

環境に恵まれなかったから成功する必要がなく

人格に恵まれないから聖人を目指す必要もなく

仕事に恵まれないから稼ぐ必要も養う必要もない

この世は全て裏返し

出来ないことはつまり出来なくていいことになり

出来ることは出来なきゃいけないことになる

面白いね、本当に面白い

全く稼げない生活保護者は税金を納めなくていいし低収入者も似たようなもの

独身でいれば物価が上がっても生活コストやリスクは抑えられるし家賃諸々かからない

恋人や友人もいなければ金も時間もかからない

なんつー安上がり

ハハハ、面白い

最強は最弱であり最弱は最強なのかもな

やりたい放題やる独裁者は弱者から恨まれこんな平和な時代にも関わらず殺される

なるほど弱い種が生延びる訳だ

くだらんな

くだらん

この世は全てがくだらない

+は−であり−は+である

0は無限であり無限は0である

そういうことだったんだな

 

タイラーダーデン「完璧なんかよくない、完璧を目指すのはよせ

それよりも進化しよう、どんな結果になろうとも」

 

好きは嫌いであり嫌いは好きである

楽しいはつまらないでありつまらないは楽しいである

勝ちは負けであり負けは勝ちである

 

なるほどね

面白い面白い

じゃあつまり希望は絶望であり絶望とは希望か

始まりは終わりであり終わりは始まりである

生は死であり死は生である

 

じゃあ何をすればいいんだろうな

この世の全てが無意味で無常であるなら一体何を

 

道教は「何もしなくていい」と言い

儒教は「徳を積め」と言う

カルト共は「信仰とお布施をしろ」

 

なるほどなぁ

何もするなか

何もしないでいいとはつまりそういうことだよ

何かしろは何もするな、何もするなとは何かしろってこと

しなきゃいけないことはしなくていいししなくていいことはしなきゃいけない

 

本当にこれは本当に本当に面白いな

全部の答えやんこれ

なるほどな本当にすごい

何でこうなるんだろうな本当に意味わからんけど面白い

意味は無意味であり無意味とは意味である

ほんまにその通りやん

ただこの言葉の感覚を理解出来るかどうかは才能だろうな

感性が死んでたら理解はできない

動は静であり静は動である

なるほどな

行動は無行動であり無行動は行動である

成功は失敗であり失敗は成功である

何もするな、何もしなくていい

それが最大の行動だからか

何もしないことが一番行動してんのか

 

そんだけ無駄なことしてるってことだよな結局