自分の最期

今から私は遺書では無い遺書を書く

「私の最期」

私の最期を考えました。

私の最期は考えうる中で最悪の状態が望ましい

出来るなら痴呆でありたい

出来るなら満足に五体を動かせなくありたい

出来るなら息も絶え絶えの苦しみの中でもがきたい

それは私の飼っていた犬の最期だったからである

私も犬と同じような苦しみを抱えて逝きたい

犬は最期に私との時を過ごして逝ったが

ジャンバルジャンのように誇り高く最期に会いたい者に会って満足して逝ったが

私はそんなものは望まない

私には孤独さえあればそれでいい

人生とは自己完結の物語であると言うなら

私自身の最期もまた1人でいい

そして苦しみだけを抱えて地獄のような最期を迎えたい

それが私に相応しい最期だからだ

私には苦しみは苦しみではない

痛みは痛みでなく喜びは喜びでない

私には孤独だけが価値ある何かである

ゴミがゴミのように生きゴミのように死にたい

私は誰も好きではなかったし私自身さえ好きにはなれなかった

人生に意味はなく価値もなく

人生には何もない

人生には孤独だけあったが

その孤独さえ本当は存在しない

人生には何もない

だが虚無ではない

人生には何もないだけがあった

何もないことを受け入れ何もないことを享受することは可能だった

誰が死んでも悲しくなく自分自身が死んでも悲しくなどない

楽しい訳でも何もない

何もないだけがそこにある

何もないのに話は長い

年々死期が近づいている

日に日に終わりの時が迫っている

私はそれを受け入れている

いつ死んでも何の悔いもない

私の人生には何もなかった

私自身さえ私の人生には存在などしなかった

私の人生には何もないだけがあった

そしてそれでいい

それが最高の人生だと思う

何もなくていい

何もないのが一番いい