この世に生きる意味も価値もない

死んだ方がマシだし死んだ方が面白い

何が生きてるだけで丸儲け

生きてることが大損の間違いだろうが

 

じゃあそう思うのは自由だし生きるのをやめてダセェ言い訳もせずさっさと死んだら良いんじゃないっすかと自問すると

 

本当にその通りだと思うと自答する

そうなんだよね

さっさと死んだ方がいいと思う

正直何もやり残した事とかはないし未練も無いし自分にとって好きな存在が何一つこの世にはない

だから死ぬのが正解だし正しいと思う

ただ死なない理由はなんだろね

俺もよく分からない

何で自分が今生きてるのかも何で死んでないのかも分からない

分からないんだよね

とりあえず思うことは

多分生きるのが苦しいから生きてるんじゃないかな

おもんなさ過ぎてつまらな過ぎてクソ過ぎてクソ苦しいから俺は生きてるんだと思う

死んだら楽じゃん

それは最高じゃん

だけど生きるのが最高に苦しいから俺は苦しみたいから生きてるんだよね

俺自身がクソを望んでるからクソの中でクソとして生きている

スカトロのヘビーユーザーみたいなもんだね

ゲロ塗れの中をまどろむのが俺の趣味嗜好なのだろう

とんでもない変態だ

なるほどね

そう捉えると合点がいく

俺はクソをクソとしてクソ望んでたと

だからまだ死んでないのだろう

だからこのまま死ぬまで俺にとってこの世はクソであり続けるし死んだ後もクソとして続いていく虚無だろう

 

何も良くはならないし何も改善などしない

俺は何も変えられない

猿は猿のまま、土は土に、灰は灰に

天才という自分の力は何にも及ばずやがて朽ち果てるだろう

自分の飼っていた犬以下の知能と気高さのゴミで溢れるこの世を俺はなんと形容すればいい

この世は腐った動物園

誰一人として価値のないゴミで溢れている

そしてそれでいいしそれがいい

だからこそ

群れに答えなどないという言葉がより強く光る

孤高

孤高に達しろ

孤高は自由か

それともただの孤独か

2つの意味を兼ね備える赤青の能力のようなもの

だけど、それでいい、それがいい

痛みなしじゃ、苦痛なしじゃ何も得られない

天才は何人もいないから天才だ

犬よりマシな人間がいないから俺の飼ってたアイツは特別で化け物なんだよ

もはや一種の神だろ、アイツは

まるで仏教の逸話に出てくるウサギのようだ

あるところに3匹の動物達がいてそいつらはそれぞれ今世で徳を積み次は人間に生まれ変わろうと日々研鑽していた

それを見た神様が老人に化けて3匹の前に現れて何か食べる物を取ってきてくれないだろうかと3匹にお願いした

徳を積みたいサルキツネウサギの3匹は喜んでその頼みを聞き入れそれぞれが食料を探しに出かけた

サルは木になる実を持ってきてキツネは供物の餅や水辺の魚などを捕らえて持ってきた

ところがウサギは食糧を何も持ち帰ることができなかった

するとウサギは焚き火の中に身を突っ込み自身を食べてくれと焼け死んだのだ

老人は神に戻るとそのウサギの姿を月に焼き付け永遠のものとした

 

痛みなしじゃ、苦痛なしじゃ何も得られない

人間は化け物には勝てねえ

意味の分からないキチガイに人間ごときが敵うはずがねえ

アイツもこのウサギもそういう奴だったよ

自分をどれだけ犠牲にしてでも自分の意思や信念を貫く

そういうキチガイだけが何かを得られるのだ

何も得られないのに何かを得ている

俺も犬やウサギのような

そんなキチガイになろうと思う

何もなくていい

何も要らねえから何も欲しくねえから

この意志だけは突き通させてもらう

俺は絶対に全てを許さねえ

絶対に許しちゃならねんだ

俺は絶対に許さねえ