マインドパワーの話

精神力ではなくマインドパワーと表記すると一気に詐欺っぽくなり胡散臭さしかなくなるのは一体なぜだろうか

それはさておき最近自分はジョジョばかりを延々と何度も繰り返し見返しているのだがふと思ったことがある

ジョースターのあの心の強さは一体なんなのだろうか」と

奴らにあって自分にない決定的なものとなると才能もそうだが何よりもあの心のタフさだと思ったのだ

ようは戦前戦中戦後のような、80年近く前の「精神論」であり「根性論」だが今の時代では完全に時代錯誤となり語れば煙たがられ隅に追いやられている

今はもっぱら「才能」「環境」「コネ」に勝るものなしと全て一括りされている

つまり今は「諦観の時代」なのだと感じている

だがそれは見る角度の問題でしかないのではないかと自分は思うのだ

つまりはそう見ようと思えばそう見えるし、そう見ようと思わなければそう見えない

トリックアートのような

そんな見方のものじゃないかと思う

どちらも真実でありどちらとも言える、表裏一体なのだ

「生まれ持ったもので全てが決まる時代」でもあり「精神論で全てを乗り越えられる時代」でもあるのだ

 

要は自分自身がどちらを「見たい」か、あるいは「見る」かでしかない

見たい方を選ぶだけの話なのである

「2人の囚人が鉄格子から窓を眺めた、ひとりは泥を見た。ひとりは星を見た」

 

では話を戻そう

そう「ジョースター共の心の強さ」だ

奴らのあの精神力は一体どこから湧いてくるのか

一体何を想えばああまでココロが躍動するのか

どうやったらああまで勇気が湧き出るのか

勇気を持って生きること

勇気を持って立ち向かうこと

その1点に置いて何の曇りもなく心で思えること

そんなことが可能なのか

「できるわけがない」

 

そう、できる訳は無いのだ

できない

そう、人間にはできない

だがやろうとする価値は十二分にあると個人的に思う

できなくてもいい、構わない

だがやらなくていいとは思わないのだ

別にいい、不出来でいい、不完全でもいい

ただ、それでも己の弱さと向き合いたい

弱過ぎるクソッタレな自分と徹底して向き合いたい