潰されるような才能なんて所詮は潰される程度の才能でしかなかったということ

温室環境で細心の注意とリスクを払い腫物のような扱いで丁寧に丁寧に育む

そんなのは才能とは言わない

当たり前と言う

本当の才能は下水からでも湧き出てくる

しかし現実はドブから綺麗な生物は出てこないし塩素で殺菌されたプールからも生物は存在しない

結局は程よい環境下でしか生命は育まれないという論を補強しているだけじゃないか

しかしそれでもなおそう思うのは結論から言えば宝くじと同じだからだ

持って生まれた才能も環境も同じだ

どちらも同じでしかないなら

そもそも論じる必要性を感じないのだ

つまり潰される才能とは潰される環境下で生まれた程度の才能か或いはそれにより潰される程度の才能のどちらかでしかなかったということ

運が足りないか耐久性を持っていなかったかのどちらかである

改めてつくづく思う

私が何年も前から呟くこの言葉が如何に真理で核心を突いているかがよく分かる

結局は全部運ゲー

本人の足掻きなどでは決してどうすることもできない理不尽な結果だけがそこには付き纏う

この世のほぼ全てにおいて良い結果も悪い結果もただのコイントスの裏表でしかなくそこに本人の努力とか頑張りなんてのはほぼ反映などされていない

これは本当の本気でそう思うしそうだと言っている

じゃあどうするか

私が思うに結局は全部運ゲーなのだからイチイチ結果に対して嘆く必要性がない

例えば宝くじがハズれても自分自身を責める必要が微塵もないことと同じように

全ての成功も失敗も自分を褒める必要も貶す必要もない

だってそれはただの運による結果でしか無いからだ

上手くいけばたまたま自分が上手くいくように生まれたからだけであり失敗すれば自分は上手くいくように生まれてこなかっただけである

全てはただそれだけの話でしかない

残業や努力をして心身を壊す者もいれば平気でピンピンとしている者もいる

同じことをやっているはずなのに結果が違うのは結局この世が運ゲーであることを裏付けているだけに過ぎない

この世は運ゲー

下等生物はまずはそこから理解しろ

これが全ての根幹であり基礎である

火が燃える水が濡れる土は触れれば汚れると同じように

それが基礎でこれが基本

この世が運ゲーであることの大前提を受け入れるか入れないかの話

俺の仕事の状態や進捗具合やスプラ3を満足に出来ないのも全ては運

俺自身には何の落ち度もない、むしろ完璧にやってこれが限界

ただ、運が悪かった

それだけの話

スプラ3は面白いゲームになる

少なくともスプラ2のようなゴミとは違う

あのゲームはマジで何もかもが終わってるクソゴミ

作った奴らの性格が滲み出ているゴミである

 

俺は運がなかった

だが所詮は運

いつまでも運が悪いというのもなかなかない

たまに運が上向くこともある

それを逃さないことだな

チャンスを逃したらもうそのチャンスは巡ってはこないかもしれない