新しいものに一切の興味が湧かない、古いものにばかり固執する

こうでい
拘泥
 
  1. 《名・ス自》
    ほかに選びようもあるのに、一つの事にこだわること。
     「勝敗に―しない」
     
     
    自分が今直近で新作、目新しいものに興味を持っているものはなにか考えたが全く何も興味が持てない
    スト5も最近は全然やっていない、休みはもっぱら寝るかえでぃたんでチマチマと入力作業をして疲れたら飯食って寝るだけの生活だ
    テレビも一切見ていない、そもそも見れる環境にない。見るつもりも無いが。
    漫画も読まない。アニメだって当然見ない
    映画も見ない、音楽もたまに古いのを聴く程度
    ゲームだってそうだ
    目新しい超グラフィック、〇〇の新作が発売などといった言葉に一切の心が揺り動かない
    そして野球もそうだ
    今の選手やチームに何の感情も湧かない
    10年前くらいのチームや選手達が好きだった
    大谷翔平すら興味が湧かないのは俺だけかもしれない
    大谷の160キロ越えよりも遥かに山口和男五十嵐亮太の158キロに胸が躍る
    懐古厨というワードを10年も前にとある配信で議題に上がったことが何度かあった記憶がある
    結局結論がどうだったかもよく覚えていないがはっきりしたのは得体のしれない懐古という「それ」は確かにあるということだけだ
    極論を言えばいつか全ては懐古になるしいつか全ては消えてなくなる以上気にする必要もない気もする
    個人的には思うに出会ったタイミングが全てなのだろうな
    いつそれと出会ったかが重要なのだろう
    一番面白く楽しい時期に出会ったものは全てが輝いて見える
    そんな気がする
    ただそれを抜きにしても加齢と共に自身の感性が死んでいってるのを感じる
    最近なんかは特にひどい
    視力も日に日にピントが合わなくなり日常生活で眼鏡が欠かせなくなった
    ほんの1年前まで裸眼が当たり前だった日常は失われた
    そして感性もだ
    だが不思議でならないのだ
    間違いなく俺の感性は死んでいってる
    それだけは間違いない
    なのになぜ俺はゲーム実況などという分野に挑戦しているのかが不思議でならない
    なぜ俺は今までしたこともない動画編集を覚え録画ソフトを設定し撮影をしているのか
    それは俺にも分からない
    だがゲームはレトロばかりだ
    このチグハグさは一体何なのだろう
    もう一つあるとすればYouTuberをよく見るようになったこと
    「この人の動画編集面白いな」という感想は動画を見ててよく頭に浮かぶ
     
    最近は自分の思うようにはなかなかいっていない
    本当はもっと動画を録りたいし編集をしたいが自分の作業効率が悪すぎる
    準備に時間がかかってしょうがない
    理想は一日に2本でも3本でもアップできるようになりたいのだ
    だが体力も持たないし休憩も欲しい
    おまけに時間も有り余るほどはない
    そして、もう8月だ
    気が付けば2018年も半分以上が過ぎてしまった
    そんな感じで2019年も2020年も過ぎるのだろう
    最後に俺はどこかで死ぬのだろう
    それまでに一体どれだけのことができるのだろうか
    1年をこんな過ごし方をいつまでもしていたくない
    納得のいく満足のいく成果を出していきたい
    いつまでもダラダラと過ごし目標を達成できないままでは駄目だ
    一番戦ってる奴こそが一番新しい存在なのだと思う
    そこに懐古がどうとかは関係ない