気づけば98連勤

働きに働いた

まだまだ働ける

今月はおそらく80万弱かな

そしてそれで一旦稼ぎのピークは落ち着く

来月以降は60〜70万円のあたりを今年いっぱいまで彷徨く感じだろう

 

流石に疲れはきてるが

別にどうということはない

死にそうな訳でもなく折れそうな訳でもない

ただ疲れてるだけだ

 

時代は動き時代は変わる

10代や20代前半の頃は大学に行かなきゃまともな社会人にも社会生活も送れず人生が詰むものだと

そう思い込んでいた

少なくとも年収500万とか600万なんて死ぬまで無縁な人生になるのだと思っていた

つくづく無知だったなと思う

今や大学を出て就職したとて出世コースから外れれば地方へと転勤

外れなくとも転勤させられることもあるだろう

 

まぁそんな真っ当な社会人に私はならなかったしそもそもなれもしなかったけども

まぁこうして初めて年収500万に今年は届きそうです

だからなんだって話で、だからなんだという話

唯それだけの話

 

34歳、大概のことは自分1人で出来るようになった

私は生涯独身で終わるだろうが金には困ることは無さそうだ

今の時代、金さえあればなんだってサービスがある

これから先の時代にそれが続く保証もないが

少なくとも金がないよりかはあった方が便利であることには違いがない

結局、思うに仕事よりも楽しいことって実はそんなに存在しない

毎日デパートをウロウロするよりゲートボールをヨロヨロとするより図書館で本をヨボヨボと読むより

働いていた方がずっと遥かに有意義である

だから結局金のあるなしって本質的なことでは全くなくて

金じゃなく時間じゃなくそしておそらく人でもないし自分のスキルでもない

何が有意義で意味のある人生と言える指標とか目標みたいなものっておそらく存在しない、存在し得ない

前に言った人生はクソという話に通ずることでクソにファブリーズしようが何しようがクソはクソだって話と同じで

人生はクソであることから逃れられはしない訳なんですよね

それを否定しようと肯定しようと何も変わらない

だけどまぁ生きる価値はありますよ

クソでもね、生きる程度の価値はある

クソはクソですがね、我々人間や動物がクソを垂れても生きてるのと同じです

だから人生がクソなのはクソだから仕方ない

まぁもちろん、人間のクソがクソがクソじゃなくなる安全な商品が開発されれば我々はそれに間違いなく飛びつく訳ですが

要するにクソがクソでないに越したことはないのですが現状はクソがクソでなくなることは些かファンタジー色が強い訳です

それはまぁ人間そのものがクソの塊、中臣鎌足なので

だからまぁ人生がクソになるのは些か伊佐坂先生な訳なんですね

だから仕方ない、なので仕方ない

分かりましたクソであることを受け入れますと宣言できて初めて我々は人生と向き合うことができ本当の意味でのスタートラインへ立つことが可能になるのですが

立ったところでまぁ前向きにクソと向き合っているだけなのでまぁどの道クソはクソなんですよね

それでまぁじゃあどう生きるかって

毎日喫茶店でパンでも買って食べながらゲームしてブログ書いて人と交流して5キロほど動いて動画作ってって人生を送ればいいんじゃないですかね

それが今より楽しいとは思わないけどそれ以外にしたいこともやりたいことも特にない

俺の人生はクソで無意味

ただまぁそれを悲観的に思う意味も最早存在しない

クソをクソだと悲しむ意味もないんですよね

悲しんだところでクソはクソで変わることはないので

 

仕事をしたいね

今はとにかく働いて投資したい