孤高の日々

友達も家族も居ない

厳密には実家に親や親戚はまだまだ存命で天涯孤独とは言えないがコロナ禍になってから3年は帰っていないし連絡も自分から積極的には取っていない

数ヶ月に一度祖父から連絡がある程度

後は年に何度か飲みに行く元同僚がいる程度か

私はそんな中で生きているかなり孤独度の高い生活をもう7年は送っている

7年の孤独

それを平然と耐えられるのは私は基本的に他人に依存しない性格なのと

他人に価値を感じない性質だからだ

自分より能力や性格や態度の優れた人間は大好きだが劣った人間は大嫌い

割と私は他人が好きではない

だがそんな私でも人との関わりや繋がりは必要だし大事なことだと認識している

週に6度は誰かと会って会話をした方がいいし体を動かすなり労働をした方がいいと思っている

それ以前は元々私は引き篭もりだった

何もせず家に閉じ籠る生活を平然と何年も送っていた

そんな人間だがこの7年でここまで認識が変わったのだ

他人に価値を重んじてない自分が他人と関わった方がいいというのは矛盾だろうか

人間は自分を通し過ぎるとよくない

要は我を出し過ぎるのはダメだという話

しかし週に6度も他人と関われば必ず他人を気遣う行動や言動をしなければならない

だからこそ謙虚さを得られる

謙虚である必要は全くないが他人を慮る謙虚な行動を必ずするからだ

だからこそ他人に関わらなければならない

どれだけ関わりたくなくても苦虫を潰しながら人と関わりを持たなきゃ人は駄目になり腐る

そして引きこもるのもよくない

体は必ず動かさなきゃダメ

動きたくなくても体は動かなきゃ駄目になり腐る

だから人は働かなきゃいけない

 

その上で、それを踏まえた上で上記した2点は絶対にやり過ぎてはならない

 

他人とベタベタ関わり過ぎても体を酷使し過ぎても駄目だ、論外

中庸が全てだ

過ぎたるは猶及ばざるが如し

やらな過ぎてもやり過ぎてもダメ

それがこの世のたった一つの真理である

俺はほっとけばすぐ1人になり閉じ籠る傾向がある

そんな人間はどんな形であれ人と関わりを持つことが大事だし働くことが重要である

他人を好きになる必要も仕事を好きになる必要も全くないがそれらはやらなきゃならないことだと認識を持つことが重要だ

俺は他人を好きにならないし必要以上に親密にはならない

なぜなら俺と他人は全く異なる人種だからである

俺は孤高の人

孤高には孤高の生き方しかできない

孤高に孤高にしか達せられないものがある

Xにいったあと俺は何をするのだろうか

今からそれが楽しみでならない

次は何をやるのだろう