私は文章力とは絵と同じでその人のセンスだと思う
喋りと文章は同じで使わなければ伸びないし使っても伸びない
なぜそうなるかと言えば喋りが他人との対話であるなら文章とは自分自身への対話であるからである
つまり自分自身と話せない者は文章を書けない
だからそこに最大のセンスの要因が置かれているのだと私は思う
私はおそらく本気で絵を鍛えれば上手くなっていたと思う
だが私はある機を境にほとんど絵を描かなくなった
その理由は家庭環境だとかそういうのではなく絵に興味を失ったからである
私は絵と絵の全てを信じられなくなった
私が絵を描きたくならなくなったのはそこが理由である
おそらく才能はあったであろうが私は絵を好きになれなかった
私の好きな絵は世の中では埋もれるか然程評価を受けない幼稚なものであったから
どの道その道を行かなくてよかった
そこには何の鉱脈も広がってはいなかっただろう
話を私の文章に戻す
つまり文章とはトークと同じ
それが文字か声かの違いであり自己に向かってか他者に向かってかの違いでしかない
勿論他者に向けた文章というのは当たり前に存在するがそんな文章は一括りに説明文というくくりに入れられて誰からも決して面白がられることのない呼吸のない文章となる
そして私の文章も大分に癖がある
大体はエピソードトークを交え仮説を補強して説得力を持たせて信憑性を醸し出しああだこうだと自分自身へと問いかけジャッジを下し周りを腐しあげる品のない内容だ
まぁ自身が余程哀れな存在なのが全く隠せていないほど透けているのは生き方に余裕がないことの証左である
余裕のある人はイチイチ他人なんか貶さない
自分のことを考えるだけで幸福だからだというもっともで説得力のある話だ
これは金のあるなしの問題ではなく自身が今現在充分に幸せかどうかという話だ
幸せを報酬として得られている者はそれでいいのだが満足に幸せを得られない者は何かを攻撃することで現実を逃避し憂さを晴らして幸福を得るというネガティブな手法でしか幸福感を得られないのだ
葡萄という報酬が手に入らないからこの世の何もかもを貶すことで幸福という報酬を得る何の解決もしていない処理をしているのだ
これを哀れと言わずして何という
他人を攻撃することでしか溜飲を下げるしかない人生はきっと不幸なのだろうと思う
まぁ私が今語りたいのはそんなことじゃない
そんなことはハッキリと言って今どうでもいい
今語りたいのは私の文体ということだ
薄々に勘づいていたのだが私の文体はとある人物の著者を試し読みでチラ見したのだが非常に酷似していたのだ
「これ俺が書いたのかな?」と思うほどに文体が似通っていて雰囲気があったのだ
そして私はそれを受け入れたくなかった
存在は10年以上前から知っていたし分かっていたしどうなったのかも知っている
だがここまで似ているのかと私は愕然としたのだ
双方の共通として
・お互いに誰かに習った訳ではなく
・お互いに学歴がない
という共通が挙げられる
そして
・お互いにろくな環境で育っていない
という点も
俺は認めたくなどなかった
こんな人と俺が似ているだなんて嫌だった
だがもう気づいてしまったのだから言うしかないし認めるしかない
何故ならそれをするのが俺だからだ
もう隠し通すことなどできない
俺はいつだって正直だ
その著者の名は永山則夫
彼の経歴を要約すれば10代の頃に横浜の米軍基地で銃と弾を盗みタクシーの運転手などを4人銃殺し金を奪うなどし逮捕されて死刑となった者だ
彼はその後獄中で本を読み漁りノートに書いた手記が出版されベストセラーとなる
その文体が私の文章と似ているのだ
ほとほと疲れてしまった
なんだか疲れた
認めたくないものを認めるのはものすごく辛く疲れる
ああ、私はやはり最悪の幼少期を過ごしたのだなと
ああ、私は一歩違えば人を殺めていたのだなと
そして私の命運もある程度見えてしまうのだ
しかし嫌気がさす
自信のあった文章や書き方が酷似する者がいたと分かると途端に自身の創造性やオリジナリティが失われただのコピー品のように感じられると一切の価値を感じなくなる
勿論私は彼と違うし彼に書けないものを書くことは出来るだろう
ただそれすらも書くことも読むことも意味がないのかもしれない
どっちが優れてるだとかそういう話ではない
文字の味と香りが同じなのが嫌なのだ
まぁ本音を言えばそれすらもどうでもいい
孤独で孤高でこのスペースや境地は俺しかいないと思っていたところに先住人がいたような気がしてこの場所は未開で前人未到な新築じゃなかったのかという気になったのだ
であれば私が到達したこの領域も然程新しいものでもなく掘り尽くされているのだとしたらもうこの場所を掘る意味もあまり無くなったようにも思える
後は私自身が自由になれるかどうか
私が何を求め突き進むかに全てが委ねられている
私の人生のゴールと結果は如何なものか
少なくとも私は文章では食っていけないな、食っていく気もなかったが
才はあっても食えるものを書けない
私の芸術性も作家性も無くはないし文字は伸ばす意欲もあったのだがそれでは食えません
私はね、文字の力を信じている
言葉の力も信じてるが文字もそれと同等の力がある
だが両者共に言えるのは伝わらなければ意味が何もない
辞は達するのみ
会話は通じなければ意味がない
私のこの言葉が一切に通じないのはこの世に人と呼べる域の者がいなく推定猿しかいないからだろう
それはそれで仕方ない
とりあえず私は自由になる
もうそれでいい