最近遊戯王熱が高まりひたすらPSVITAで古いデッキを構築してはCPUと戦っている
魔法使いデッキを作ってあーでもないこうでもないと唸りながら研究していた
そんな時ネットでマスターデュエルの雑談スレが立っていて勢いもすごかったのでどんなものかと中を覗くと現行の環境の話題一色であり昔の環境の話題などただの1レスもなかった
当たり前と言えば当たり前なのだがYouTubeでは昔の環境のデッキの動画の再生数がすごいのでてっきり人気のあるジャンルだと思い込んでしまったのだ
現実は古い環境で遊んでいるのは少数で細々とやっている人が稀にいると言った具合だった
おそらく今の環境で遊んでいる人達は20代前半までのプレイヤーがほとんどで昔の環境を面白いと思っていたプレイヤーは皆30代を超えている
つまりそんなプレイヤー層は大半は引退しており結婚や子育てで仕事をフル回転しておりそんなにまったり遊ぶことなど独身の俺のようには出来ないのだ
そして俺は独身で時間が有り余っているのに現行の環境などについていけず理解もする気がないので結局私のような化石であり価値のない骨董品のゴミは何処にも居場所などないのだという現実をまぞまざと叩きつけられた光景となった
「私はこの世から必要がないのだな」
そう静かに理解するとスレを閉じpsVITAの画面に戻る
結局この時代の環境は魔法使い族を使うならブレイカーが安定だよなぁなどと言いながら俺よりも強く新しいカードを使ってくるCPUとデュエルするのだった
それでも私は現行のマスターデュエルをやろうとは思わない
結局カードゲームに対話は存在するが存在しないのと同義だからだ
CPU相手にやっても対人戦をしても共通して言えるのは「自分のやりたいことがやりたいように出来るかどうか」が全てだ
これは将棋でも格ゲーでもパワプロでも何でも同じ
対人戦に重きを置くものは対人戦でありながらソロプレイの延長線上にあるのだ
結局相手とは自分を面白くさせてくれる為の手段の一つでしかない
優秀なCPUと然程変わらないのだから対人戦に拘る意味も必要性も全くない
特にカードゲームにおいては自分のデッキが展開よく綺麗に回りさえすればそれで気持ちいい独り善がりなゲームでしかない
ならもういっそ1人でいい負けてもスムースに次にいけるCPU戦をひたすらに気兼ねなく回せばいい
そしてオンライン上で見ず知らずの他人と通話もせずにプレイするならばそんなのは全く面白さに直結しない
もはや自由にプレイできるCPU以下だ
だから私はCPU戦でいい
やはり人間が必要ない
自分のレギュレーションで自分の自由なフォーマットで自分の自由なデッキを組み自由に戦う
それがいいしそれでいい
くだらない自己正当化の話はここまでにして話を進めると恐らくだが遊戯王に限らず私を取り巻く全てがそのような環境で構築されているのだと思う
私のするゲーム、私のすること、私の考えること、私の行く場所、私の何もかもが私に対する居場所を否定している
これは決して被害妄想などではない
私は本来マーケット層的に言えば結婚して子供を作っていなければならない層だ
そんな層に対して世の企業が提案するものなんて育児や家庭で使うものしかない
独身の趣味に自由に使えるコンテンツなど企業は提案しない
つまり私は企業からは消費者としても切り捨てられ趣味のコミュニティからは結婚して家庭の奴隷として生きる引退者として扱われる老人そのものなのだ
私の居場所などもう何処にもない
バッテリーが消耗し充電器から離せば1時間もプレイ出来ないpsVITAの画面でジッとしているしかないのだ
いつまでもGBのポケモンやドラクエを延々とプレイしている老人のように
そして私も彼らと同じくどこにも居場所を失してしまった
家族を作れればまた違った結果に繋がったかもしれないがそれは出来なかったし時代にもついていけなかった
昔見たトリビアの泉でアルカノイドが滅茶苦茶上手い大山のぶよやボンバーマンを毎日プレイし続けるお婆ちゃんを見て思ったのは「どうしてこの人達は今の最新の面白いゲームを遊ばないのだろうか?」という強い疑問が10代の頃にあった
今、その人達の気持ちが物凄く強く理解できる
時代についていけない者の悲しみを1人噛み締める
いずれ私も墓の下に行く
それが早過ぎた埋葬でないことを祈るばかりだ