君たちはどう生きるかの解説を聞いての雑感という批判

2017年に260万部も売れベストセラーになった君たちはどう生きるかの解説動画を観ての雑感を書いていく

 

まず第一に見終わった後、謎で奇妙な気持ち悪さと違和感が強く残った

僕は今日おかしいと思われる覚悟で嫌われる覚悟で性根が腐ってる、性格が悪い奴だと思われても受け入れる気持ちで色々書いていく

それで別にいいんだよ、俺に失うものは何一つない

 

まず結論から

あまりにもズレ過ぎた綺麗ごとが目に余る

そんなんじゃねえだろ

このコペルという奴は上から目線が何もかも過ぎるだろ

同時に自分はこれが現代の日本人の大多数のマインドなのだと絶望し愕然とした

いやお前さ、こいつは何一つ痛手を負っていないじゃないか

貧乏の辛さも知らない、殴られた痛みも知らない

こいつはただ何もせず共感しただけ

 

アホ丸出しの女子が「チョ~カワイソ~」と言ってるだけなのと本質はまぁっっっったく一緒だろクソボケが

自分が可愛いだけ

何が「世界は自分中心じゃないんだね」だ馬鹿

オメエはどう見ても自分中心に考えて生きてるよくだらねえ

こんな本が200万部も売れたとかアホしかいねえのか

うん、アホしかいなかったわ

カイジに出てくる三好のような奴だろコペルは

もうただの甘ちゃん過ぎて何も言えねえ

一見して良い様に見えるよ、そりゃ

「貧乏って可哀想」だの「仲間を裏切ってしまった僕は最低だ」だのさ

聴こえはいい、でも言うだけなら誰だって言える

悪い奴ほどそういう上辺の言葉を簡単に吐けることなど誰でも知っていることだろ?

 

自分は常々物事の判断として「何を言ったかではなくそいつが何をやったかで判断しろ」というのがある

これは自分の鉄則である

口では「真面目に頑張ります」と言う奴が仕事で遅刻しまくってたらどうなる

でもこいつは反省してるから…とは俺は思わない

「遅刻したんで給料いりません」だとか「トイレ掃除を1ヵ月自分がやらせていただきます」とか

そういう自身に過剰に痛みをかせる、そんなことしなくていいよと思わす人間にしか反省という言葉は使うべきじゃない

つまりコペルは裏切った際に口だけの謝罪でなくその先輩達に単騎特攻すべきだったのだ

それこそが勇気であり贖罪であり反省だ

これが私が感じた「君たちはどう生きるか」の感想です

言葉だけで何か変わると思いますか?

私は決してそうは思いません

こんな本が現代で受け入れられた最新の哲学書だ?

鼻で笑ってしまうね

こんなのよりもカイジの方がよっぽど哲学としては上だろ

鉄板焼き土下座から「言葉のみの軽さ」という定義を投げ掛け

銀と金での森田の退場はまさに「老荘思想」そのものではないか

あれはずっと未完だと思っていたが違う、そうじゃない

あれはあれで完結していたのだと最近感じた

あれは森田が勝ったのだ

くだらない資本主義の出世レースから虚しさを悟り離脱した森田の勝利の物語だったのだ

と最近感じた

まだまだこの世界の哲学は未熟な域にある

その上で自分が感じるこれからの哲学は既にいくつか自分が読んだ漫画の中に隠されていると思っている

先程の森田の離脱もそうだが大甲子園の中西球道の「球穢れなく道けわし」にも深い意味があると思っている

一見美徳というか美徳そのものな話に見えるがそれだけじゃない

要は球穢れなく(徳を積みなさい)、道険し(無功徳)となる

この相反する言葉が一節の文章に来ているのがこの言葉の面白いところだ

つまり無功徳なのに徳を積むとはどういうこっちゃ?となる

これは本当に難しい

これを拙く解釈させてもらうとすれば「成功するな、勝つな」ということになる

そして同時に「それよりも大切なものがある」と説いているのだ

 

それがなんなのかは誰にも分からない

以上です

ソヨギでした

テンテレレーレレー レーレーレー ジャスティンビーバー