人間っつうのは相当愚かである
合理的にAとBが必要でCやればそれが最も効率がいいと説明しても頭が悪いので想像力がなくそれを信じることができない
〇〇というAとこういう××という経緯で作られた△△という技術で作られたBを持ってどこそこの伝承あるなになにの歴史あるもろもろの方法であるCをすればぐにぐにを達成することができると言うだけで馬鹿はそれを信じるのである
いや、アホやろ
そんなどうでもいい胡散臭い話を鵜呑みにする方が意味不明だわ
と、私個人は思う
思うが世の中はそんな人間で構成されていない
だから宗教やビジネスやコミュニティが流行るのである
私にはまったく微塵にも理解できないがね
何が面白いのかさえ全く分からない
思い返せば自分の母親はこういう話が大の好物で
よくソウカガッカリの胡散臭いエピソード話が詰め込まれた雑誌、ダイビャクレンゲで書かれていた体験談を私にしつこく話していた
大体いつも同じ構成
私は聞けば聞くほど「なぜこいつはこの話にいささかの疑問さえ抱かないのか」と不思議でならなかった
毎度毎度同じパターンで人生に失敗した親近感が湧きやすい登場人物がまぁ例えばのび太のような存在が人生を失敗して知り合いからガッカリで信心するのを勧められ最初は抵抗するが勧誘する奴がしつこくてついに根負けしてのび太が信心を始め仕事や家庭で成功していくという
こういう頭の悪い話を登場人物と名称が変わっただけの全く同じ話を何度も何度も聴かせてきたなと
何が面白いのかが分からない
こういう脚色まみれのほぼフィクションのノンフィクションもどうでもいいが先日記載したように世間一般の大半の作品すらも嫌いな私にとっては苦痛でしかない
要は頭の悪い人はこういうドラマが大好きなのだなぁと今になって思う
勿論私もそういうのが面白いと思う作品もあるにはあるがかなり厳選されている
辻褄があってなかったり正当性がなかったり合理的でなければ私は受け付けない
私がまず一番に思ったことは母親がガッカリで信心をやればこういう体験談のように運命が切り開いていくという発言に
「じゃあなんでお前はそれを飽きもせず延々やってんのに何も良くなってねえんだよ」と毎度突っ込むのも10代前半のうちに飽きて疲れたものである
綺麗事や都合のいいことを口でベラベラと喋るくせに一向に改善なんてない
そんなのにもううんざりだった
私の家庭とはそんな地獄を過ごした無駄な期間でしかなかった
そして、世の中の大半の人間はそんな母と然程変わらない池沼同然のガイジで溢れていることに気づいた20代を過ごした
この世が猿の惑星だ
人間はどうやら俺一人のようで
ならもういっそそのストーリーを逆手にとって使おうと思っている
俺という人間を好きになる人間はいないが俺が作るストーリーを好きになる人間はアホほどいるというのは容易に想像がつく
なぜなら世の中はアホしかいないからだ
本当にくだらない世界だと思うよ
まともな人間は宝くじの1等よりも少ない