子供の頃の夢と現在の夢の話

子供の頃自分は将来ゲームクリエイターとして成功したかった

具体的に言えばコナミに入社してパワプロを作りたかった

それくらい自分は野球ゲームに魅入られた

あのゲームの魅力の虜になったのだ

しかし現在はそんなゲームともプログラムとも微塵も関係のない仕事をしている

ただ生かされてるだけ

生きるためだけの仕事をしている

本来は生きられるだけでありがたいことだと思わなければいけないのかもしれない

飯が食えて水が飲めてそれ以上何を望むか罰当たりめがという話なんだと思う

それに酸っぱいぶどうかもしれないが仮にコナミやそれに近いゲーム作りの仕事ができていたとしても満足にいってるかと問われたら厳しいと思う

もはや野球ゲームが50万本売れていた時代は二度と来ないしインディーズで何かを出してヒットする確率は相当に低い

そしてそれは全てに当てはまるのだ

結婚してもしなくてもそれが望んだ形になる可能性は低い、いや無いと言っていいだろう

子供が出来ても出来なくても結局思った通りには何一ついかない

ただ希望という一瞬を見させられるのだ

その時その時で延々と

そしてそれが世の常な気がする

反出生主義でも無ければ虚無主義でも自分は違う

そういう風には思っていない

例えばだがフルマラソンの世界一のランナーと鈍足の自分が本州の青森から山口まで自分の足だけで競走したとしよう

勝者への報酬は一切なし、得られるのは勝ったという事実だけ

そうしたときに果たしてこの勝負にゴールに辿り着くのに速く走れるという才能は必要だろうか?

必要なのはゴールまで辿り着くという意志の力だけではないだろうか

自分はそれがやりたいのだ

そんな何も得にならない自分のやりたいと思うことをただ淡々とやっていたい

金も何もいらないからそれだけをやらせてくれ

俺は本当にそういうことがやりたい

今は時間もあるし金もある

なのにまだまだ満足にできていない部分が多々ある

無意味なことをやり続けたい