他人から下に見られ馬鹿にされる楽しさと面白さ

独立?考えが甘いんじゃない?独立なんて滅茶苦茶大変だよ、だから俺はこの歳まで会社に勤めてきた

 

飲み屋でそう酔っぱらった一度しか会ったことのない自分の親ほども歳の離れたおっさんから言われた

それを面白いなと私は思った

別に私自身がマゾだとか頭がおかしいとかそういうことではなく

よくほぼ見ず知らずの互いに何も知らないに等しい他人にこういうことを平然と言えるなというおっさんの神経が面白いなと思ったのだ

 

終始私はこいつは俺の何を知っていて商売の何たるかを熟知し顧客が何を求めているかを理解しているのだろうという感想が頭の中をグルグルと回り続けていた

自身の人生が上手くいっていない

私はおっさんに対し率直にそういう感想が浮かんだ

完全に不満のない人生を歩むなんてのは誰しもが不可能だが自分の物差しで他人を測りたがる者ほど大した人物でないことがほとんどだ

そしてそれが大した実績のある人物であったとしても中身はそれに近いラッキーだっただけである

つまり大した人物なんてのはこの世に存在しないのだ

私が何が言いたいかと言えばサラリーマンを至高で素晴らしいと謳う奴は馬鹿だし自営が素晴らしいと言う者も馬鹿だし経営者として上手くいった者もいかなかった者も馬鹿だし投資家も馬鹿なのだ

 

つまりこの世には馬鹿しかいない

これだけは絶対の真理なのだ

全てが不正解なのにこれが絶対だなんて言うのは絶対的な馬鹿でしかない

どれを選んでも不正解で不適格なのであればどれを選ぼうといい

それこそが唯一の正解であることを理解できていない

一度しかない何を切っても相手の当たり牌の何切る問題

それが人生の本質なことになぜ気がつけないのか俺は不思議でならない

生まれた時点で詰んでいることになぜ気づかない

これこれをこうしてああしてこうすれば最適解なんだなんて宣うのは馬鹿丸出し過ぎて聞いていて痛々しく恥ずかしい

例えば年齢が同じ18歳の大谷翔平と障害者に向かってサラリーマンは最高でそれ以外は滅茶苦茶大変だぞと語っていたらどうだろうか

かなり極端な例だがそれが正しいかなんて人それぞれでしかないのだ

何が正解かなんて人によって違いそもそも正解など用意されていないケースだってある

ならなぜ皆学生時代に勉学に励み一流と呼ばれる大学に行かないのか?

一流企業に行かないのか?

そしてそこで出世コースを勝ち取らないのか?

それが正解なら皆それをやればいい

でもそれをやらない

ならそれは正解でもなんでもないということだ

正解など存在しないのが正解

何をやってもいいのだ

私はそう思う

今の会社や仕事が嫌なら辞めればいいしやりたいことやできると思うことをやればいい

自分で調べ納得し自分で試しいくとこまでいけばいい

要するに何事も思うがままにやればいい

それで自分が納得いくならそれでいい

それ以外に正解なんて存在しない

だからイラつきもしなかったし気持ちにブレもなかった

私の行動は最善でもないし正しくもなく強くもない

ただ私にとってこの行動と選択は正解だったのだ

なぜなら私の満足はここにしかなかったからだ

私は全てを手に入れる

一切の妥協は許さない