アンチと信者

信者は救えぬ馬鹿でありアンチは知恵ある者である

世の中をおかしく混沌化させているのは信者と呼ばれる存在である

キリスト教徒、仏教徒イスラム教徒、右翼、ナチス支持者、自民党支持

など挙げればキリがない

そしていつの時代も信者は全てをおかしくさせる

考えてみたら分かる

例えばAというものにハマったAの信者がいたとする

そしてAが悪事を行い明らかに社会的に問題のあることをしたとする

そしてそのAについておかしいではないかと批判する、これがAアンチ

しかしこのAアンチを叩くのがAの信者なのだ

この時点で如何に信者というものの存在が異常でありおかしいかがよくわかる

おかしいことにおかしいと言うと信者がそれを妨害活動を行う

これが信者が害悪である証拠だ

勿論行き過ぎたアンチや必要以上にやり過ぎるオーバーキルは必要ではないが

過剰に何もかもを防衛しようとする信者の方がむしろ害悪であることが多い

つまり信者とは一つの組織となる危険性を常々含んでいることになる

だから私は基本的に何の信者にもなっていない

常々フラットにしかものを考えないし視点を変えない

誰が言ったかではなく常に誰が何を言ったかでしか私は見ない

いいものはいい、悪いものは悪い

それが身内だろうと他人だろうと何も変わらない

自分の好きなものでも嫌いなものでも同じだ

悪いことをすりゃぶっ叩くし良いことをすりゃ褒める

それだけの話だ

ただそれが出来ている人間は本当に少ない

というより居ない

皆誰かや何かに依存する中毒者しかこの世にはいないという程人間が弱い

私は何も信じないだけを信じる不信仰信者である

つまりニヒリズムに近く、しかしニヒリズムの先にいる

私は超人思想を超えたのだ

私は超人になることを半ば諦めそれでも超人になろうと戦う者である

未完の大器

大器晩成で大器免成だ

力を抜けよ先は長いんだ

決して焦るなよ喜びや楽しみを感じられるの一瞬だ

真に必要なのは信じることではなく信じないことである

真に正しいのは真実であり信じることではない

私の夢は私自身が叶えることであり馬鹿の戯言を聞くことではない

真っ直ぐ前だけを見ろ

そして怒り狂え

怒って怒って怒って怒りまくってもはや怒りなどないかのようになってしまえ

怒りを超えた先の場所へ行け

そこに真実が待っている

 

soyogi