人の死に意味などない
それらに意味や価値を付属させているのは人間の感情によるものでしかない
フラットに合理的に見れば人が死ぬことに特別な意味など持たない
仕事をクビになることや家族と絶縁になることも含めこの世に意味のあることなどない
あるのは常に「何もない」ことだけがこの世には在り続ける
今までもこれからも
若くして綺麗な人が死ねば多くの人は感情が揺さぶられギャーギャーと騒ぎ立てるが
これが嫌われ者の70を過ぎた老人が死ねば何も騒ぎはしない、静かなものだ
だからこそ人の死自体に特別な意味など存在しないのだ
脱糞などの生理的な排泄行為と同じでそれ以上も以下もない
では何になら意味があるのか
全てに意味がないのだとしたら生きること自体も意味がなくなってしまう
ハッキリ言えば生きることに意味などないが真理なのだが人間はそれの受け入れを拒む
そうあって欲しくないとばかりに無理矢理な動機づけをし生を肯定する
だが意味などないのだ、本当に無意味
私はそれをしっかりと正面から受け入れている
だからこそ何にも縛られずに生きている
実際にはそう出来ていないが私は極力縛られることを嫌う
私は私の為に合理的に生きたいのだ
私が私である為に
生きることに意味が無いのに他人に縛られることはもっと意味がない
仮に私の思い通りに生きられても意味がない
でも納得はできる
自分のやりたいようにやったのなら納得がいく
同じ無意味でも満足感が違う
ゲームで勝っても負けても結果は同じ無意味だが自分の思うように出来たと出来なかったじゃ同じ無意味でも満足感が違う
私はその満足感だけを求めている
人生とはどれだけ自分が納得し満足いくかの器でしかない
私はまだまだ満足させたい
自分自身をもっと満足させたい
soyogi