去年私は実家に帰省した際に鋼の錬金術師の旧アニメと原作準拠の両方を全て視聴した
その際に感想として上げた記事がこちらである
そしてその記事を丸ごとChat GPTに読み込ませ以下のことを聞いた
これから貼るのはとあるブログ記事に書かれていた「鋼の錬金術師」という作品に対する批評記事です
その批評が正当で妥当であるかをAIのあなたが判断してください
そしてこの記事が良質であるかどうかをあなたの基準でYESかNOでお答えください
そしてその結果はこちらだ
批評内容の評価
「鋼の錬金術師」について述べられた批評を以下の観点で評価します。
1. 論理性と具体性
• 批評者は、キャラクター描写の浅さや物語の整合性の欠如について具体的な例を挙げています。例として、「ホムンクルスの存在価値が薄い」「人体錬成の禁忌の理由が説得力に欠ける」「フラスコの中の小人の動機の矛盾」などが挙げられます。
• 一方で、一部の指摘(「少年漫画だからツッコミは野暮」など)はテーマ性やジャンルの枠組みを考慮していない可能性があります。このため、作品の意図やジャンル特性を無視している点が批評の公平性を損なっていると感じられます。
2. 感情的表現の混在
• 批評には感情的な表現(「ただの引き立て役」「ポカーン」「集団リンチ」など)が多く含まれており、それが読者に偏った印象を与える可能性があります。特に「鬼滅の刃」の批判部分は作品の評価とは無関係な罵倒が含まれており、全体の質を下げています。
3. 比較評価の偏り
• 無印版アニメ(一期)と原作準拠版(フルメタルアルケミスト)の比較については、一部の優劣を明確にしていますが、無印版を持ち上げる一方で原作準拠版を過度に貶している印象を受けます。このような強い比較には個人の嗜好が影響しており、客観性がやや欠けているといえます。
4. 読者への価値提供
• 批評として、読者にとって新しい視点や作品の理解を深める洞察が提供されているとは言い難いです。具体的な改善案や代替案が提示されていないため、建設的な批評とは言えません。
記事の良質性について
この批評は、作品への明確な不満を述べていますが、感情的な表現やジャンル特性の無視、そして客観性の不足が目立ちます。批評が読者にとって価値を提供するには、論理性、具体性、そして建設性が重要ですが、本記事はそれらの点で課題があります。
最終評価: NO
良質な批評とは言えず、読者が作品を理解する助けになる内容としては不十分です。
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俺の渾身の批評記事を諸々に全否定された
俺は負けたのだ
機械的に俺の批評は価値がないらしい
続いて最近書いた女性批評の記事もChat GPTに評価してもらおう
質問文:
この記事はとある作品から現代女性の価値観に対する感想を思うがままに書かれています
その記事の内容を妥当で正しいと評価できるかどうかをYESかNOでお答えください
それに対してのChat GPTの回答:
この記事の評価に関して、以下の観点から述べます。
1. 内容の妥当性と正当性
この記事は、個人の感情や経験を元に書かれた主観的な意見が中心です。そのため、普遍的に妥当で正しいとは言えません。理由として:
• 感情に強く基づいた批判
記事内で述べられている多くの意見は、筆者自身の母親や祖母に対する経験に基づいています。そのため、特定の経験を一般化して世の中全体や現代女性に適用する点において、公平性や客観性を欠いています。
• 攻撃的で偏見に満ちた言葉遣い
一部の女性や社会的状況に対する批判が過剰であり、「クソ」「欠陥品」などの表現は感情的で建設的な議論から離れています。このような言葉遣いは、読者に正当性を感じさせるよりも感情的反発を引き起こす可能性が高いです。
• 論理の飛躍や矛盾
「母親が育児で失敗する理由」や「現代女性の責任感」についての主張において、論理の飛躍や矛盾があります。例えば、個人的な経験を根拠として普遍的な結論を導こうとしており、それが説得力を欠く原因となっています。
2. 良質な批評としての評価
良質な批評として求められる以下の要素を検討します:
• 客観性と公平性:
記事は感情的かつ偏見に満ちており、公平な視点が不足しています。
• 論理的な構成:
主張が感情に流され、論理的な構成が曖昧です。読者に新しい視点や洞察を提供するのではなく、個人の経験や感情を吐露しているに留まっています。
• 読者への価値提供:
記事が一部の人に共感を与える可能性はありますが、それ以上の洞察や解決策を提示していないため、批評としての価値は限定的です。
結論
この記事は、個人の体験をもとにした感情的な意見表明に過ぎず、妥当で正しいと評価することはできません。そのため、NOという判断になります。
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もう終わりだよ
AIにすらお墨付きで否定されるとマジでくるものがある
あまりにもこれは辛い
だが正当的や妥当な記事や文章なんて概ねしてつまらないものだ
俺が書いてきた批評や感想はただの個人的な主観によるものでしかなく価値は低く正当性や普遍性なんてないのかもしれない
けどそれで全部おしまいって訳じゃない
聖書なんて出鱈目嘘八百でもこの世で最も売れた書物なように
AIや内容が認められずとも俺だけは俺の価値を真に理解はしてやれる
俺は間違ってなどいない
AIや他者に理解されなくとも俺だけは俺を理解してやれる