世界一正しい人間は世界一苦しんでいる

論理的思考によればそうなる

正しさとは何かって相対的なものだったり時代によって移り変わったり何が正解で不正解なんて二元論はそもそも当てはまらないが

それでもそう思う

世界一正しい人間は世界一苦しんでいるだろうなと

その正しい人間の基準は自分が作り出した幻想でそもそも存在するのかという点については置いておくとして仮にいた場合それは想像以上に悩みと苦しみがあるだろう

正しい人間は突き返される

間違った人間にとって都合が悪いから

そもそも正義の基準とは勝者が決めるというものならそれは突き返される時点で正しくないとも取れるが

そんな単純な話でもないはずだ

じゃあ何をもって正しいとするのか

それはおかしいことにおかしいと思えて言えることが正しいと思う

ではそのおかしいと決める基準は何か

それは客観的な物の見方

つまり正しさとは視点の問題だったのだ

主観ばかりでいると間違いが生じやすい

つまり主観で物を見過ぎるな、それこそが正しい在り方なのだ

つまり世界一正しい人間とは世界一客観的に物事を捉える人間ということ

主観で生きていない気遣いの塊ということだ

そりゃもうその時点で大変な重責を担っていると言ってもいい

共感性が高過ぎるか或いは冷静過ぎるか他人想いかはたまた賢過ぎるのか

その過程は不明だがいずれにせよ客観的に見て生きるとは大人だということ

自分さえよければそれでいいなんて程度の低い動物のように生きてはいない

そんな人間が増えればそりゃ社会は良くなる

行儀のいい人間ばかり品行方正でお利口さんだらけの素晴らしい社会だ

俺はそんな社会がいい

だが現実はそうはならない

私利私欲に塗れ他人を蹴落とし自分さえ良ければそれでいいクズの掃き溜め

それが現実だ

100歩譲ってそれが正しいとしよう

ニーチェの言う奴隷道徳を捨て自分がひたすら高みに昇りつく為に他者を犠牲にしてでもなりふり構わず自分さえよければそれでいいこそが真理なのだとしよう

でもそんな社会で俺は誰とも関わりたくなどないね

同時に関わる意味もなく存在する意義もない

だって自分のことしか考えないクズと関わって何になるよ

楽しいかそれ

自分の都合しか考えず自分のガキを散々虐待して生きるのは楽しいかと問うてんだ

挙句10歳くらいから家のローンの支払いが厳しいと言い続けて金を使うことの罪悪感を子供に植えつけてその子供に300万を家のローンに支払わせるのは楽しいだろうな

テメェは宗教に100万の寄付をしといてな

子供に親の家のローンを300万支払わさせる

素晴らしい教えだね

本当に

 

まぁつまり後者はそんな社会な訳で

自分のことしか考えないとはつまりそんな社会

他人と関わる意味って何よ?

自分のことしか考えない他人と関わる意味って何?

その問いに答えることができない

それが後者の社会だ

だから孤高なんだろと

誰とも関わらず生きた方が余程いい

それが後者の社会

正しい人間ばかりなら人間に絶望することなく助け合うことも出来ただろうに

結局それが実現不可能だから社会がどんな素晴らしい制度やシステムを用意しても良くならない

それは結局大半の人間自身が腐り切ってるからに他ならない

人間のレベルが低いから社会はよくならない

根本を言ってしまえばそれが全てであり真理である

だから孤高がいい

だから孤高でいい

自由になるには孤高がいい

他人なんざ全員クソだ

俺だけが俺だけの為に俺だけの自由になる自由になれる

群れに答えなどない

自由とは孤独だ

俺は孤独な闘将となりウサギとなり猿となりナマケモノとなる

孤独こそが絶対的正義だ