雉も鳴かずば撃たれまい

何かを攻撃されたくなければ

何も批判されたくなければ

その方法は非常に簡単だ

それは何もしなければいい

究極、極論、生きる上で何も嫌な目に遭いたくないのであれば何もしなきゃいい

もっと言えば生まれて来なければ完璧と言えるだろう

以前に一日でほとんど動かないナマケモノがなぜ絶滅しないのかについて語らせて貰ったがそれを再度言うとナマケモノはほとんど動かないからこそ外敵のタカやジャガーなどに見つからず生存できているという話をしたことがある

つまりそれと同じで古事として雉も鳴かずば撃たれまいという言葉がある

これは雉が鳴かなければ漁師から見つかることなく撃たれないというのを表した言葉なのだがまさにナマケモノの絶滅しない理由をこの言葉が裏づけるようにさらに説得力を補強してはいないだろうか

目立たなければ危害に遭わない

出る杭は打たれるなどの言葉もあるようにリスクとリターンは常にトレードオフであり利益や成功や賞賛と貧しさや非難は基本的に相互関係にあるのだ

つまり雉も鳴かずば撃たれまいや出る杭は打たれる、そしてナマケモノが絶滅しない理由は生物とは生まれて来なければデメリットがないという事実を証明してしまっていることに他ならない

そう、我々は既にこの世に生を受けた時点で負けだったのだ

どう足掻こうと下り坂がスタート地点、生まれた時点で落ちるしかない命運を持って我々はこの世に生を受けたのだ

そもそもが試合や対戦をしなければ自分に一切の負けがつくことは無いように

何もしなければ失敗をすることが無いようにだ

誰とも関わらなければ人から文句を言われることもない

つまり何もしないというのは究極で最強なのだ

 

では何をしたらいいのか

本当に何もせずに生きるというのは

それが出来る人なら、そして耐えられる人ならそれは実践可能な理論だろう

だが我々は仕事をするし何かを買ったりするし誰かと関わったりもする

それらを失敗したくないのならそれらをしないという選択肢を取ればいい

つまり何をすべきかと言うのは失敗や損をしてでもいいからそれらをしたいと思った時にだけすればいいということなのだ

失敗する前提でそれでも構わないことだけをすればいい

そうすれば後悔がない

 

まぁ勿論全ては詭弁

出過ぎた杭は打たれないという言葉もあるが

そんな出過ぎた杭すら実は打たれている

ただ相応のリターンを貰っているからトレードオフなだけで

じゃあ打たれたくないから何もしないままな人生が楽しいかとなるとそれはまた人によって違うというだけで

やはり重要なのはどうせ何かやって打たれるならどうしてもこれだけはやりたい成し遂げたいことだけをやって打たれたらいいってこと

特段やりたくないことをやって打たれるのは馬鹿馬鹿しい

何をやってるのか分からない

そう、つまり人生は死ぬまで自分がやらなければならないことややりたいことだけをやって生きれば後悔が少ない

そういう話なのだと思う

私は自由になりたい

自由な猿に、自由なナマケモノに、自由なウサギ

自由な闘将に

それならばどれだけ打たれようが後悔はない