家庭用ゲーム機の限界

自分はもう家庭用ゲーム機をやりたくない

厳密に言うとゲームはやりたいのだがゲーム機を起動するのがとてつもなく苦痛なのだ

ロード時間の長さは許そう、ディスク入れ替えも許そう

ただ起動、これだけはもうどうしても耐えられない

今日はその理由について詳しく話していきたい

 

なぜゲーム機を起動するのが嫌なのか

ゲーム機を起動と言っても一概には言えない

PS3スーファミでは起動までの意味が違ってくる

しかしどちらにせよゲーム機の起動とは長くても1~2分程度だろう

システムアップデートなどがあればさらに伸びるが(5~10分程度)そこは割愛するにしてもだ

私はゲーム機を起動するのが嫌で嫌で仕方がない

その一番の理由は「ゲームをすると疲れるから」だ

例えばRPGでもなんでもいいが40分程プレイしたとしよう

その頃には正直私の体力はもうヘロヘロだ

一休憩入れなければ再開できない

集中力が切れた状態で話を進めても面白さや楽しさがない

だから自分の場合一旦手を置きYouTubeやニュースやまたはこのブログを打ったり違うことをとにかくして気を逸らさないと「次の意欲」というのが湧いてこない

例えばどうだろう。難しいゲームをプレイしていていい感じだったのがゲームオーバーとなってしまった時の絶望感や自分に対する失望に襲い掛かられた経験は無かっただろうか

そんな時に即再開できる気分だろうか

私はとてもじゃないがそんな気にはなれない

挫折感に打ちひしがられ頭の中は「もうやりたくない」の気分一色になる

だが本当はやりたいのだ。是非ともこの難所を突破し達成感に浸りたい

が、そんな力は今は残されていない。だから間を取りたい

そんな時どうするだろうか

そう、普通はゲーム機の電源を切るのだ

 

ここにゲーム機を起動するのが嫌いになる全てがある

なんとか気力が復活し再開しようとなった時にまた電源を入れるあのインターバルが無駄で無駄でしょうがないのだ

たかが1~2分かもしれない

だが、それは確実に人生においてなんらメリットのない無駄以外の何物でもない1~2分なのだ

それを悟ってしまった時にゲームを起動するのが強迫症のように「ウッ」と全身から拒絶感が襲い掛かる

もっと言えばスタートラインにつくまで4~5分かかるかもしれない

それが頭の中でチラつく度に「俺はなぜこんなことをしているのか?」と現実に引き戻されてしまう

たかが数分だが何度も何度もそれが積み重なっていくうちそれが大きな絶望感に変わる

そしてそれは現代の最新機種とて変わらない同じ問題を抱えている

携帯機のVITAなんかはまた違う

電源をスリープ状態にしていればまた同じところから再開できる

あれは非常に素晴らしいと私は思った

家庭用機も本来はああいう仕様にならなければいけないと思う

対策として電源をつけっぱなしというのもやったりしたがPS2PS3は熱をもったり騒音がうるさかったりと明らかにハードの寿命を縮めてる感じがして心理的に無理だった

そうして気づけば自分はPCゲームばかりやるようになった

先述した起動時間強迫症により常に休めたりすぐ起動できるPCでプレイすることである程度は解消できた

全てのゲームがPCでできるようになればこれほど素晴らしいことはないと思う

そんな時代がいつか来る日を願っているが

その頃にはさらに体力が落ちて自分はゲームができない体になっている可能性が高い

 

 

 

 

無念

 

 

非情に無念な人生である