どうでもいい戯言を語る
昨日はどうやらワールドカップの決勝だったらしい
自分はというとその日は深夜まで17時間以上仕事をしていたのでそれどころではなかったし何よりワールドカップに興味は無かった
ただ帰り際「フランスとクロアチアどちらが勝ったかな」という話になったとき
自分の口から出たのは「フランスが勝ったんじゃない?」とスラスラと言った
フランス→名門。強豪国。強そうというイメージが浮かび
クロアチア→国がどこにあるのかも分からないというイメージだった
実際に自分は本当に何も知らない。実はクロアチアは名門の強豪国なのかもしれない
ただどうでもよかった。それくらい興味が無かった
朝起きてニュースサイトを見る。結果はフランスが勝利していた
その時ふと思ったのだ
「これがもし、サッカーのフランスとクロアチアではなく野球の広島と巨人だったらどうだったか」と
果たして俺は先と同じような予想をすることができただろうか?
どちらが勝つという考えではなく、どちらが勝ってほしいという予想になりはしないだろうか
この例えだと今は広島が強くてややこしいが例えこれが「広島対ヤンキース」だったとしても俺は広島が勝つ方にもはや無意識レベルで思考を巡らせてしまうというのを言いたいのだ
なんでもそうなのかもしれない
好きなもの、贔屓したいなにかを基準に入れて考えるのは限りなく危ういのだ
それらが負ける運命を考えるなんてただの苦痛でしかないのだ
人の脳はそれに耐えられないようにできているのだと思う
「好きなものが敗者になる」というのを本能レベルで嫌う
熱した鉄に手を触れたときの反射の動き並みの速さと動きで「自分にとって都合の悪い思考を排除してしまう」
今回はそれがすごく分かった、痛いほどに
同時に己の弱さも理解した
好きになればなるほど人間は頑固になり脆くなる、これは正しいと思う
だが言わせて頂きたい
どうでもいいと思ってることの予想を的中させたところで何も嬉しくないし
好きなものがない人生なんて虚しさしかない
だから、すごく変なことを言うのだが「好きなものを嫌いになる努力をする」のは大事かもしれない
好きになり過ぎてもろくなことにはならないのだから好きという衝動を嫌いで相殺させて
だがどうなのだろうか
それもそれで、なにか間違ってる気がするのだ
なにかとんでもない過ちをおかしてるかのような不安がよぎる
なにかこう自分の中でズバッと結論を出したいのだが
今は上手く答えが出せない
だが多分これが正解なのだと思う
好きなものほど嫌いになった方がいい