70歳になった自分

頭の中にふと70歳ぐらいの年齢になった自分の姿が浮かんだ

今から約40年後の自分である

人生の後半、あとは死を待つのみの年齢の自分だ

浮かんだイメージによるとずっと一人で生きてきたようだ

親も生きていても疎遠な風で自分で家族を築いてるという感じでもなさそうだった

そして友人がいそうな雰囲気もなかった

じっと下側から見ているこちらを見つめ「悔いはない」とだけ言葉を口にした

 

そうか

俺はそんな人生で悔いはなかったのか

ずっとそんな金も家族も無い様な人生で悔いが無いのかという感想が頭に浮かんだ

 

次に生きる意味を問うたらどうだっただろう

確信があるのだがおそらくそれは今持っている考え方と差異が無いように思う

「生きる意味なんてない」

 

それは元々無かったのか

それとも自分がそうさせてしまったのか

多分両方だろう

生きる意味も価値も自分で作らなければ生じることはない

他人がどうというよりも自分で感じることが重要だからだ

じゃあ何に価値があり意味があるのか、それが分からない

このまま分からないまま終わるのだろうか

自分の人生何をすれば意味があり価値があるのか

 

メジャーリーグで安打を262本打てば意味があるのか

200歳まで生きれば意味があるのか

一体に意味とはなんなのか

たった80年そこらしか生きない存在ごときが悟りを開けば意味があるのか

唐辛子を食べることに意味があるのか

風呂に入れば意味があるか

毎日寝ることに意味があるか

意味とは何か

そもそも意味を求めるのはなぜか

自分はなぜ無意味を嫌い恐れるのか

人生が有限だから?肉体的ピークの時間に限りがあるから?

その割に日頃している生活は無意味で怠惰そのものじゃないのか?

何をしても無意味だから何もする気が起きなくなった?

それは違う、そうじゃない

本当にそうなら俺は飯を食わないはずだ

でも飯は欠かさず毎日食うし眠くなれば毎日寝る

別に生きるだけなら毎日食わなくても良いし睡眠だって最小限でいいはずだ

人がすることには必ず何か目的があるからやっているのだ

そしてそれを我々は意識的にも無意識的にも行っている

今こうして死なずに生きていること自体目的があるから生きているのだ

無意識だとしても自分の意志で

生きる意味など無いのに自分の意志で生きている

こんな矛盾した話はない

 

「なぜ自分は生きているのだろうか」

 

意味など無くてもlife goes on

無気力でもlife goes on

何も築かなくてもlife goes on

晴れが無くても風が吹かなくてもlife goes on

結局人生ってなんなんだ

何のためにこんな無駄な時間を俺は過ごしてるんだ

そして俺は何をこんなに悩まないといけないんだ

俺が見るべき考えるべきは悲観論だと思うのだ

幸福な社会を実現しようとしてもそれが叶わないのならばその逆をいくべきだと自分は思う

アレもダメこれもダメもっとダメもっともっとダメな現実を見据えるべきなのだ

高い目標を持って落ちたら痛いが低い目標ならば痛くない

もう無理に上など向いて考えるべきではないのだ

それはなぜか?

この国が衰退しているからだ

上がり目が一切ない国で上ばかり向いてもそれは仕方ないことだからだ

国の衰退予想に合わせた人生プランを考え、その通りに実行すること

結婚しない、子供もいない、家も買わない、車も乗らない

そんな人生を死ぬまで続ける

あと40年

あと40回同じ人生を過ごせばそれで俺は70歳になる

長い40年だ

そして意味のない40年でもある

足掻けよ

何も起こることなどないが何も手にすることもない

俺には何もない

そんな空虚を生きよう

人生なんてクソッタレだ

そして俺自身はそれ以上のクソッタレでもある

目的のない、意味のない40年の始まりだ