A:人生とはくだらなくしょうもないものである
B:人生とは多様なものである
どこまでいっても、何をやっても、そしてどう足掻いてもAな人間がいる
それは環境であったり本人の能力であったり運の無さにもよるが
ずっと陽の目を見ることのないAという人生がある
どうやら俺の人生とはそのAということらしい
まず「お前はAだ」と宣告を受けた気分を語ると「ああ、そうか」という率直な感想が浮かんだ
「俺はAなんだ、そうか」と比較的に冷静にそれを静かに自分の中で受け入れる
「じゃあどうしようか、なにをすればいいのか」と次に考える
何をやっても自分の望んだものが一切手に入ることのない人生で俺はどう余生を過ごせばいいのか
「俺は不幸なんだ!」と喚いて塞がるか「嫌だ嫌だ!そんな人生嫌だ!」と暴れ狂うか
でも、そんなことをしても無駄である。何も変わらない
創作物の話になって申し訳ないが時折現実だけでなく創造物の世界の話にもそんなAな存在がいる
自分が好きな作品ではどちらも西部劇を題材に扱った「3時10分、決断のとき」と「レッドデッドリデンプション」という2つの作品だ
あとは「グラントリノ」なんかも良いかもしれない
こういう作品を自分が受けた後に奇妙な感覚に陥る
それが「自己犠牲」であったり「美学」であったり「弱者の一撃」であったり
色々な要素を含んでいるため一言では現わせないのだがそういったものがブレンドされた一つのカクテルを飲み干したあとの奇妙な感覚である
感情を揺さぶられ思考が止まり何もかもがしばらくの間よく分からなくなる麻痺した感覚
とにもかくにも言えるのは「我々人間はいつか死ぬ」ということを思い知らせてくれる
他人でなく自身こそがいつか死ぬ
大事な人も自分もいつか死ぬ
だから俺はAなんだ
一種の絶望とも言える感覚だ
じゃあなんで自分は生きているのか
いつか死ぬと分かってるのに死ぬ日が来るまでのうのうと特に何も行動せず生きるのか
なぜ死のイベントが起きる地点に進むのか
なぜ死ぬ時間までを変えられず再生するのか
脚本は変えられないからだ
もう死ぬことが既に決まっているからだ
そこで作品は終わりなのだ
一度区切って次にBの話をしよう
もちろん人生にはそんな選択以外の人生も多々存在する
生まれた時から苦労知らず、女にも不足せず自由に伸び伸びと欲しいと思ったものはなんでも手に入るようなそんな人生もある
そんな人間はAだろうか?もちろん否である
仮に同じくしょうもないと思ったとしても前述に挙げたAとは異なる存在なのは間違いない
全くの別物のAであると言えるだろう
精々A´とつけるくらいが関の山で同じじゃない
つまりBとはA´であるのだからA´からAを引けばその差分は「´」ということになる
段々と見えてきたがつまりAに足りないのは´でしかない
´とは幸福である
人生は幸福な人生かそうでない人生かの違いである
Aがとてつもないほど虚しく悲しさしかないのは幸福じゃないからだ
だが生涯を掛けても幸福を手に入れられない層は確実にいる
それが俺だ。そしてただそれだけの話
「なぜだ」と疑問に思う人間もいるかもしれない
どん底からの人生の逆転劇なんてのは創作物にも現実にも十分起こり得ることだ
だがそれでも変わらない
俺の人生に成功や幸福などあって欲しくないと断言できる
そんなものは今更いらない
俺は失ってしまったものがあまりにも多過ぎる
今後どうなろうとそれだけは何も変わらない
みすぼらしく生きるさ、情けなく過ごすさ
俺はそれでいい
俺はこの世の総てを許さないし俺自身さえも許さない
そして誰も悪くないことも十分に承知している
ただこの世が自分が想像していたよりも綺麗じゃなかった、ただそれだけの話だ
つまり自分がこの世で求めているものは成功しようと失敗しようとどこにもないというだけの単純明快な話だったのだ
そもそも疑問を抱いたことは無いだろうか
なぜ成功者だけが幸福を掴めるのか
なぜ成功しないと望んだものは欠片さえも手にすることが不可能なのか
そこに俺の最大の疑問と世の中の悪意の全てが透けて見えるのだ
だからこそこの世の茶番劇の全てがうんざりなのだ
だからこそ成功しようと失敗しようと俺の望んだものは手に入ることが無い
それだけは変わらない
この世は全部クソッタレ
クソッタレしかいない肥溜めだ
俺だけは綺麗な花でいると誓う
俺だけは清廉潔白なオールホワイトであると宣言する
俺だけは究極の白だ、俺だけの白だ、俺こそが永遠の白なのだ
白に白を塗り白に染める
俺は白しか欲しくない。それ以外は個性じゃなく汚れに過ぎない
真っ白なキャンパスに白以外塗る必要はない
新規プロジェクトに何も描くな何も書くな
ただの白紙こそが完成している