結婚なんて馬鹿げてる?

結婚=愛ではない

結婚とは2人で生活を共にし子供を産み、そして育てる契約に互いが合意したとみるのが一般的だ

もちろんそうじゃない夫婦もいるだろう

だがあくまでここは何のために2人が結婚したのかについて着眼したときおよその割合で大半は子供を育てる環境を作るためでそれ以外の部分はそれに付属する部品でしかないのだ。

では結婚でなく「愛」という定義で人生を見たときどうだろう

愛に子供は必要か

愛とは互いが愛し合っていればそれで良しとするべきであり

互いでなくとも片方が一方的に愛することも「愛」である

つまり愛と結婚は別物だ

結婚は愛がなくとも子供を産み育てるという環境が欲しければできるのだから

愛は必要条件ではない

先ほど説明したがそれ以外での愛とは何か

愛とは好きになり愛せばそれで愛である

だが好きになったりなられたり愛したり愛されたりはどうしても

容姿という部分の比重、年齢という比重、最後に収入、肩書、地位などの部分が品定めを受けてしまう

もちろん金さえあれば商売女を引っ掛けることは容易いだろう

ただそれは金を持っている自分を愛してるだけでそれでも構わないと思うならそれは互いが合意した関係だ

ただそれは愛というよりも「客」あるいは「雇用」などに近い

では容姿や声、才能や言動で好かれ愛される場合は愛なのか

厳密に言えばそれも少し違う

愛というより「性欲に伴う行動の結果」であり

人としての欲求心からくる生理的な現象だ

つまりそれが失われたら同時に冷めていく。これは金の場合も同様だ

では愛とはなにか

愛とは愛であり言葉である。

言葉での繋がりこそが愛である

言葉の羅列、言葉での会話

言葉や仕草から相手を好きになれたら

それは不変しにくい形からのアプローチから入る

よってそれが愛である

愛とは素晴らしく尊い

ただ遠い

個人差があれど結びつくまでは果てしなく遠い

目先の欲に釣られた結婚などまさに愚という他ないが

それが好きならそれも個人の勝手でありどうでもいい

ただ言葉だけでは遠い

折れそうになるほど言葉というのは弱く遠い

想いだけでは届かないのじゃないかと思う日が延々と続くだろう

それでも他へ行けない

ずっとそこに留まったどこにも行けない者こそが

愛を得る可能性を手にしている

それをしない者達には永遠に愛など訪れない

臆病にならず耐え忍んだ者だけが本当の愛を知る

並大抵の道ではない

ただやるしかない

人生とは常にやるしかないということが付きまとう

受験、就職、結婚、子育て

愛もその内の一つなのは言うまでもない