結局の愛とは

この世のすべては死ぬまでの暇つぶし以上でも以下でもない

金も時間も能力も遊びも女も仕事も交友も実績も善行も非行も信仰も感動も

もちろん愛だって同じ

これがニヒリズムの行き着く先かだとか末路だなんて言わないでくれ思わないでくれ

別に僕は悲観なんてしちゃいない

ただそれが自然のままそうであることを受け入れてるだけなんだ

「日本は結局災害が起こる地震国」だと言っているのと同じなんだよ

生きるなんて、人生でできることなんて、人の行えることの範囲なんて暇つぶしの枠を越えることなんて誰もできないよね、と僕はそう言ってる。

 

緊張してできなかったことも繰り返せばなんてことはないことに変わっていき

マグマのように熱かった恋は時とともに冷えていく、少なくとも変わっていく

そんな冷めた見方をして何が楽しいの?なんて想いを抱かないで

それもある意味当然の感想だと認めるけど

僕はそれでもこれで悲観なんてしてないんだ

それがそれであっても良いものだと僕は思っているから

暇つぶしでもずっと良い状態で変わらないものが無くとも

それでもいいと僕は認めている

ずっと若く美しい君が永遠でないと言ってるけど

君が若くて美しい時があってそれが素晴らしいことなのは認めてる

ただそれが続かないってことを言ってるだけなんだ

そしてそれが悪いことだとも思ってない

いいじゃないか、変われば

いつまでも同じなんて僕は求めてない

いつまでも安泰だとか豊かだとか幸福だとか

僕はそれよりも何よりも

残りの時間の暇さえ潰せればそれでいい

そして僕は愚かでありたい

暇をつぶすためならなんの躊躇もなく動けるような

そんな愚かな人間になりたい

君を好きだというためなら全部失おうと躊躇なくいけるような

どこまでも愚かな奴になりたい