自己肯定感は必要なのだろうか

ネガティブとか鬱屈とか批判精神とか気怠い感じ

 

皆さんは嫌いじゃないでしょ?

何もできない自分に酔ったりしません?

できない自分に心地よくなってません?

才能も持たず生まれ落ちた自分自身を愛しく思いませんか

 

実績とか結果なんて欲しく無いんですよ

そりゃ欲しいと思うものもあるしあった

それは何が何でも手に入れた

血反吐を吐きながらでも到達したよ

でもね、実績の収集家になりたいなんてこれっぽっちも思わない

少なくていいよ

それも自分が自分を褒められる程度、僅かにあればそれで十分

多過ぎる実績はやがて自分への重圧に変わるもんだ

そして何かが崩れた時「全部無意味だったのか?」という実績への疑念へと変わってしまう

だから最小限でいい

穴のあるくらいがちょうどいいんだ

「まぁでもこれくらいのもんだし」と気軽に構えていられればそれでいい

特に運絡みの実績なんてもうどうでもいい、無理に追うな

そんなもん追ったところ時間の無駄だ

サイコロで3回連続で6出しました!みたいな実績を必死に追うようなもんだ

そんなのただの馬鹿だろ、恥ずべきことだ

そんなのは馬鹿に取らせとけばいいと一蹴するくらいの気持ちでいたほうがいい

自己擁護するのに他者や概念を否定、批判するのは倫理的にどうかというのも分かる

分かるがそんなこと考えるな

別に物質的に被害なんて合わせてねえ

物を投げた訳でも殴った訳でも蹴った訳でも無い

当然言葉や思想で相手を傷つけもするかもしれない

でもよ、じゃあ世の中の宗教はどうなんだよ?ええ?おい

俺の他者や概念否定は許されなくて創価学会の無理矢理な勧誘や脅迫めいた選挙活動はいいってのか?

どうなんだコラおい

親の押しつけがましい教育や体罰という暴力は許されて俺の思想や体制批判は絶対駄目だって言うのかよオラアッ!!!!!!!!!!

 

テメエら猿の言ってることはそういうことだ

何も見えてねえアホの集まりだ

だから俺はそんなのクソくらえだって言ってるのが

わかんねえかコラアッ!!!!!!!!!

 

わからねえだろうな

なぜって猿だから

猿には俺は何も期待しない、合理性なんて奴らは微塵も持ち合わせてない

あるのはただの感情論、だからくだらねえし聞く気もねえんだ

もはや感情教という思考停止の宗教の信者だよ、目の前から失せろ

社会というジャングルで一生木の実とバナナ拾って食ってろよモンキー

俺は人間様なんだよ、だから関わるな

 

そう、俺はただ間違ってること、おかしいことにおかしい間違ってると言ってるだけに過ぎない

そしてそれを無理やり押し付けてなどもいない

ただ俺個人が勝手にそう思ってそう言ってるだけだ

それのどこがそんなに害悪なんだ?害悪な訳がねえだろ

そりゃ完璧じゃない、言葉が悪かったり言い方やタイミングの問題も当然あるだろう

だが少なくとも「最悪」には程遠い

関わんなきゃいいだけだ、そういう人間もいる程度で済ませばいい話だろう、何も俺がこの世に何人もいる訳じゃない

何も俺はお前の取引先の相手じゃない、その辺にいるただの一個人でしかない

集団で迫ってくる宗教団体や社会のシステムに組み込まれた組織とは違う

つまりそれらに比べれば弱い存在だろう

え?つまり何か?俺の存在は許せないけど上記の団体様には特に何も言わないって言うのはつまり弱い者苛めですか?ということになりますよね

言い易いから言ってやろう、報復が無いから潰そう

一体性根が腐り切ってんのはどっちだ?

異なる思想を持った個人は潰すが害悪な団体には閉口するってどんだけ惨めな立ち回りしてんだって話

弱い奴にしか手を出さない、それがもうどうしようもなく恥ずかしくて情けないということを自覚できないからこそ人未満の猿だってことにこうまで分析しても確実に猿の耳や思考には一切遮断され入ることが適わない

それが猿の生態だと私は認識し猿への理解の全てを10年以上前に既に諦めている

 

自己肯定感、それはつまり言葉を裏返せば他者否定、つまるところ人間肯定であり猿の否定だ

ここまで解剖して初めて言葉というのは意味を持ち踊り始める

意味はやがて概念となり概念は思想となり思想は性格に性格は言動と行動に言動と行動は未来へと変わる

ここまで紐解けて初めて言葉は言葉の意味を為し体となる

言葉の意味も分からずに生きては言葉はただの音でしかない

プップーというクラクションのようなただの音

なんか鳴ってるな程度の形しか持たない

単音は何の意味も持たないがそれが連なればメロディへと変わりメロディは曲になり曲は意味を生み概念へと続く

それと全く同じことだ

 

自己肯定の深い意味を知ることだ

自分のやりたくないことをやることはその真逆の選択で行動だ

それを避ける為に否定は絶対に必要で避けられない

俺は必要以上に論理的に否定してしまうがシンプルに「これはやりたくない、やらない」という考えは大事なのだ

自分はもう関係を決別したくて仕方ないから言ってる節もある

こんなものをやってる奴らとは金輪際関わりたくねえとばかりにその概念と思想を否定する

それが正しいかは分からん

ただ、こうとも言える

強い否定とはつまりその裏返しで強く確たる肯定へ繋がる

絶対の信義を持ってイキレて生きれるのだから孤独でもなんでも幸福感は強い

徹底的に否定しろ

それが自分への肯定に繋がる

ではまた