世界が僕には止まって見える

中村仲蔵の話を頭の中で再生させると涙があふれて止まらなくなってくる

 

ああいう話に弱いのだ

逆境、苦境、窮境

そういうどうにもならないような場面というのはいついかなる時でも誰にでも降りかかってくる

そして大概はどうにもならない

何度も何度も人はそうやって打ちのめされていく内にそれを納得するにしろしないにしろ諦観を覚え何も感じなくなっていき受け入れるようになる

それが人の常ではないか

悔しさすら消えた位置に嫌が応にも立たされる

税金なんか払いたかないけど嫌が応にも支払わされるように

そんなことの連続だ

そして人生にはそんなことしかない

政治に不満だろうが周りに不満だろうが何一つ変えられず一方的に押し付けられるだけのクソッタレが世の常じゃねえか

会話も暴力も何も役に立たねえ

猿に振り回されて振り回されてどうにもいかねえのが人の生というものだった

仏も神も勿論いやしねえしいてもわざわざテメエを助けても救ってもくれねえ

 

それがたまらなくどうしようもなく虚しさと苛立ちだけが俺は強く残るんだよ

 

何も強く望んじゃいねえ強欲に生きてもいねえ

誰かを不幸にさせたいだとかも思っちゃねえ

だけども平穏には生きられねえ

そしてそれは誰が悪い訳でもなくそれが自然だというのだから腐ってやがる

端からこの世は腐り切っているのだ

 

頭を捻って解決や改善を考えようにも決して答えは出てこねえ

そんなものは存在しないからだ

無いモノは無い

無理を考えても答えは出ない

そうやって人は諦めていく、絶望していく

ただただ不条理に負けていくのだ

己の無力さを噛み締めながら

 

えー今から語りますのはそんなありふれた状況に陥ったある男の話でございます

 

私は無力でした

何も変えられない

であれば誰とも関わらない

誰かと関わっても何も変えられないからだ

変えられないなら端から関わる意味が無い

だってそうでしょう

そして押し付ける気も無い

そんな責任を負ってまで誰かに考えを押し付けたいと思うほど傲慢ではない

ただただ黙して現状に不満を抱きクソだクソだと恨むのでございます

そしてもちろん何も変わらないのでございます

何年も何年も幾年が過ぎても変わるどころかどんどんどんどん悪くなっていきます

男はもうとっくに諦めていました

自分の家族ですら僅かに変えるだけでもどれほどの莫大なエネルギーと時間を使ったことか

男の働きと行動で実家が抱えていた借金はほぼ完済しました

親戚の子供も男のアドバイスでいい学校に進学しました

それらは周りの反対を押し切って男の独断で為したことでした

しかしそれだけを変えるだけのことにとてつもなくエネルギーを要しました

怒声に次ぐ怒声、どれほど怒鳴ったか

言っても言っても理解を示さない猿達との会話に疲弊しながらもそれでも語気を強め進言を辞めなかった

最後はなんとか勝ち取りましたがもうこんなのは懲り懲りと思った男は家を出ました

もはや実家と関わることに利などなく関わるだけ損だと気づいたからです

そして同時にこの件で学びました

他人と関わることのなんと無駄しか無き事かと

こんなことを繰り返していては自分の人生など全て無くなってしまうだけだ

男は極力誰とも関わりませんでした

関わりたくありませんでした

猿が嫌いでした

ただただ猿が嫌いだったのです

自分の考えの意を汲んで実行してくれる機械以外と関わる利は無いと気づいたのでした

男は人との関わりを絶ちました

すると奇妙な感覚に囚われるようになります

男から時間の感覚がなくなっていくのでした

今が何時で何曜日で何日なのかが分からなくなっていきます

そして次第に時間の流れまで異変が起こります

時間が極端にゆっくりになったかと思えば矢のように過ぎるようになりました

ゆっくりさは段々ともっとゆっくりになっていき早さはさらに早くなりました

もはや時が止まっていました

時計は動いています

しかし時は止まっているのです

これはつまりどういうことかと言うと例えば完全保存のミイラを想像してみてください

万全な環境ならばミイラは何万年経とうとその形を維持したままです

つまり維持したまま、変化が無い、それはつまり時が止まっているということなのです

つまり私は何もしない関わらない影響で一切の変化なく過ごした為時が止まっていたのです

物質としての変化がなにもない究極の状態

生ミイラとでも比喩すべき存在と化していたのです

そして止まって見える

自分が止まると周りも止まっているように見えます

この感覚はつまりどういうことかと言うとものすごい剛速球がよく止まって見えるという話がございますが

つまりこれは精神が研ぎ澄まされているからであったり自身が止まっている状態で向こうから来たものを目で捉えているからだとかそういう物理現象的なのも含めてそういった感覚に近い物とでも言いましょうか

とにかく周りまでもがゆっくり、いや同じくらいに止まって見えるのでございます

そうするとどうなるかと言うと全てがノロマに見える

まだその話題をしてる、まだそんな考え、まだそんな段階、まだそんな予測、まだそんな作業、まだそんな判断

全てがゆっくりゆっくりに見え全てが止まった状態

これが一つの時間停止なのかもしれません

 

そして僕は涙を流すのでございます

部分的とは言えこの不条理に打ち勝った中村仲蔵の話が強く胸を打って目頭が熱くなるばかりだ

時間が止まっていますからその感動が絶え間なく延々と流れているのです

永遠もの時を中村仲蔵で感動し続ける、猿達を置き去りにして

というお話でございました

ではまた