どれだけ苦労しようと正しい人に私はなりたい
どれだけ嫌われようと憎まれようと蔑まされようと私は私に正しく在りたい
歪んだ価値観だったりズレた感性を受け入れる気などさらさらに無い
私はTスうム教徒と変わらない存在かもしれない
だがそれが真理で真実ならそれを貫くのも悪くはない
社会や人間の価値観などその時その時でコロコロと変遷する
今の価値観が正しいなんて感覚は今の時代にしか通用しない
だからどんな価値観を抱いてもそれは問題ない
その結果の如何についてはただの運でしかない
それで上手くいく奴や時代もあればそうじゃない場合もある
それ以上も以下もない
パワポケ7でこのような文言がある
悪の反対は善、善の反対は悪
正義の反対は別の正義、または慈悲・寛容だと
正義を掲げるのがTスうム教やキリス卜教や共産主義や資本主義やその他諸々のイデオロギーや活動団体であるなら慈悲・寛容は仏教である
だが見て欲しい
仏教はインドでは廃れ中国では共産主義に追いやられ日本でかろうじて原型もないまま名前だけが残っているかどうかで
世界の覇権を掴んでいるのはTスうムやキリス卜教や資本主義共産主義じゃないかと
そもそも仏教が慈悲・寛容など嘘である
ミャンマーで少数派のTスうム教を排他していることがその証左だし日本でも何度も仏教徒が暴れているじゃないか
つまりは慈悲・寛容なんてこの世には存在しない
正義の反対は別の正義や慈悲・寛容などではなく
敗者でしかあり得ないのだ
正義を通せたかどうかでしかないのだ
正義とは言い換えれば勝者でしかなく
敗者に正義などあり得ない
通せない正義と通せた正義の2種類しかこの世には存在しないのだ
正義をはき違えるな
だから正義などという言葉はくだらない
善も正義もその時々の覇者達に都合よく利用されるならもうその言葉は使わない
私は私の幸せの為に生きる
私にとって正しいことこそが全てだ
それ以外はゲロ以下の何かでしかねえ