目的と手段

目的地に行きたいことが目的ならば車でもバスでも電車でも飛行機でもいい

だがバスに乗るのが目的なのか車に乗るのが目的なのか飛行機に乗るのが目的だった場合目的地とは手段に成り下がる。

 

では車に乗ることが目的だったとしよう

ならば車種はなんでもいいことになる

だが大抵はそうじゃない

値段、性能、外観やデザインで我々はそれを選択する

AかBを選ぶという話ではなく

A~Z、あるいは1~99までの間を常々選択している

そしてそれは値段が吊り上がれば上がるほど選択する時間の熟考は長くなる

もはや選ぶのが目的か考えるのが目的か悩むのが目的か

ますます複雑になっていく

ファミレスに行きあれがいいかこれがいいかどれがいいか

値段も味も大して変わらないものを決めあぐねている我々は一体何を目的にしているのか

腹を満たすため、あるいは仲間と楽しむために来ていたのではなかったか

まさかファミレスで己のそのケチな舌を満たそうなどと狡い目的を持っているのであれば驚きを隠せない

 

話を車に戻そう

同じような、あるいは数十万から100万程の価格差から車種を選ぶ際に

カタログから燃費の差、エンジンの性能、車内の広さ、乗り心地、外観から納得のいくものを選ぼうとするその習性

分からなくもない

自分もギターに凝っていた頃あれはどうだこれはどうだと大して変わらないものをうるさく選別していたから理解できる

だがはっきり言えば無駄である

選ぶ時間の長さは自分の自信の無さの現れである

腕があればどんな楽器でも上手く弾ける

弾きやすさ弾きにくさの差はあれどあるいはメンテナンスのしやすさしにくさ

もちろんデザインもあるがこれは省くとして

そんなのは新品で出ているものを買ってしまえば大概問題はない

デザインの良さ悪さも結局は自身のルックスに自信がないことの証明で

大した差など無いのである

少なくともそこに熟考する時間分の見返りはない

 

ここまで言っておいて果たして本当にそうであろうか

デザインや外観の良し悪しは無駄なのだろうか

自分で言っておきながらいくつもの疑問符が頭に浮かび上がるのは

自分自身が相当に狭量が狭いにも程がありすぎる程に

女性に対して美が絶対であるという自覚がある

車、ギター同様に女性にも性能差や外観の違いは当然にある

そして僕は女性を見た時それらを無意識に常に熟考している

熟考し悩み選択するのは

人間にはカタログスペックというものが詳細に存在しないことにある

時間をかけて関わらなければ本当の性能が分からない

5分ほどで分かるのは相手のデザイン、外観から相手の性能を見極めなければならない

そんなことが果たして現実的で可能と言えるだろうか

はっきり言えば無理である

鍛えられるものでもない

持って生まれたセンスが無ければ良品を選ぶことなど決してできない

そして僕はたまたまなぜか良品を見極めることができる

これは僕の唯一の才能と言っていい

そして最大限にそれを活かすこともできるだろう

話を戻そう

結局道具は使い手次第ということだ

車もギターも女もプレイヤー次第

あるいは自分自身も

でもね、見た目だけじゃないよ

性能でもない

僕が好きなのはたった1つの要素

上手く言葉じゃ言えないが

僕はこれが欲しいがために生きているんだ

僕はこの法則に則って選択している

容姿は目的じゃない、手段だ

僕にとっての目的は別にある

それはたった1つ

たった1つの目的

一緒にいたい

包まれたい

僕の苦労も苦悩も全部洗い流してくれる

僕の人生を0に戻してくれる

僕は本当の意味での母親を探してる

フロイトは役に立たない

ユングで2割程度

後の8割は僕が解かなきゃいけない

人類よ、人類史よ役に立たねえな

 

「親父、次は?」

「そうだな、大学に行け」

「次は?」

「その会社に勤めろ」

「次は?」

「そうだな、結婚でもしろ」

 

考えなきゃな

こんな自己決断力に欠ける良い子なんかじゃな

親や誰かの言いなりじゃあな

生きてるとは言えない

 

君が、君こそが僕の探し求めてた人だ

理由はたったひとつ

本当の、本当の意味でたったひとつ

綺麗だった、タイプだった 違う

優しかった 違う

どれも本当だけど、そうじゃない

声が素敵だった そうだけど違う

雰囲気が良かった それも違う

僕が、僕が君を選んだのは

僕の母親がこんな人だったらと思ったからだ

身近に理想の母親像を置きたい

一緒に生活をしたい

ただ甘えて依存して

ただただ僕は親からの愛に飢えているだけの糞ガキなのだという現実が、事実が突き刺さる

情けない、恥ずかしい、みっともない

でもこれが僕の現実

失敗作という他無い僕という個体

いつ存在が終わっても何も不都合がない産物

廃棄物、不良品、出来損ない

ずっと誰かから肯定されたいだけの甘えん坊

取り返しはつかないよ

時間だって巻き戻せない

不完全は不完全なまま生きるしかない

僕の精神は明らかに発達障害と言えるそれだったとしても

いつだって配られたカードで挑むしかない

相手がメジャーリーガーだろうとなんだろうと

この幼少期で止まったままの精神で戦うしかない

そこまで心配はいらない

相手も自分もどこか似たようなものだ

わずかな差で、わずかな違い

その差は一瞬の傾きで優勢は入れ替わる

その傾きが運から、実力から

あるいは読み合い

あるいは緻密な策略での出し抜き合い

配られたカードは絶望的だ

だが相手の手札も決して良いという時代じゃあない

僕は決して戦術で勝てるとは考えない

戦略的に挑む

真っ直ぐのストレートで挑む

それが140キロでも130キロでも全力の真っ直ぐで

時に儚く切なくそして力強くなる

投げ込んでるうちに技術がつき技巧派に変わる

本人は至って速球派のつもりのままで肩が限界を迎えるその日まで投げ続けた

全てのレベルが向上していく

それが自分の戦略だ

力のない者は鍛え強くなるしかない

楽に勝てる戦術には頼らないつまらない

勝つ日が来るまで投げ続ける