今日は昔話をしようと思う
自分は頑張れば頑張るほど成果が落ちる、というお話
自分は昔からそうなのである
頑張れば頑張った分だけ「全てを失うタイプ」なのだ
これはどういうことかと言うと
例えば小学生時代塾に通い心身が正常な頃は成績が伸びた
しかしスケジュールが過密になりストレスフルな状況で成績が伸びず落ちた
成績が落ちたから更に過密のスケジュールを組みますます落ちてやがて集中力はボロボロになり勉強そのものが大嫌いになった
よく成功者がこういう「私は誰よりも死に物狂いで努力した」という美談
確かにそれは努力したのだろう
勉強やトレーニングを頑張ったのだろうと思う
ただ、それを自分自身にあてはめそのスケジュール通りこなし無理矢理やり通した場合どうなるのか
それはもう実行などしなくとも結果は明らかである
僕は確実に成長が止まり心身が憔悴しボロボロになり人生の貴重な時間を棒に振るだろう
僕は努力なんて言葉はクソだと思っている
某有名タレントが「自分は死に物狂いで誰よりも努力した、嫌で嫌でしょうがなかったけど頑張るしか無かったから努力したんだ。だから努力できるのは才能だなんて言われるのは納得がいかない」と話していた
正直言ってその認識は間違っている
そもそもが死に物狂いで努力して心身共に正常な耐久力がある時点で「努力できる丈夫な肉体と精神を持っている」としか言えないのである
俺はぶっ壊れたからそうだとハッキリ言える
肉体も心もマジでグチャグチャになった
ハッキリ言って適切な環境、適切な分量で頑張った者の方が確実に結果を出せる
どれだけ努力しようとそれは関係ない
自分をぶっ壊す程の努力なんて意味が無いし追い込める人間はただ単にその負荷に耐えられる丈夫さがあっただけの話でしかない
だから俺は努力は万人にできる代物じゃないと言ってるんだ
そもそも努力なんて効率が悪いにも程がある
全く不要というものではないが人間にはキャパシティというものが確実に存在する以上その器に合わせた行動をするのが最善なのは当たり前なのだ
私は昔から気分屋だ
気分が乗ればなんだって出来る
逆に気分が乗らないと何をやっても集中できずやがて精神や肉体の汚染が始まりグチャウグチャとなってしまう
だから私は絶対に努力をしないと決めたのだ
気分がノッている時だけ俺自身に「やってくれますか?できそうですか先生?」とお願いして俺自身にやってもらっている
その時の俺の集中力とアイデアは絶好調で幸福感も高く不快感が消え失せる
それ以外で何かをするなんて無駄でしかない
やりたくもないことを無理矢理やらせても俺は絶対に成果を出さない
俺の機嫌を決して損ねてはいけない
俺の気分を良くしない限り俺は絶対に集中してくれないからだ
ずーーーーっと頭にイライラする感情や頭痛と吐き気、倦怠感に襲われていいパフォーマンスなんて出せる訳がない
だから俺は自分自身を徹底的に気分を良くさせる
そしてそれで気分が良くなるかは自分でも分からないのだ
決して自分を甘やかすのではない
自分を最高の状態にもてなすのである
この理論がデタラメではなく確証がある
よくスポーツや勉強に限らず人間はメンタルが何もかも作用すると一度は聞いたことは無いだろうか
つまりメンタルが絶不調なら何をやっても結果は伴わない
だから自分のメンタルの調子を上げる、いわゆるメンタルコントロールをしろという話なのである
だから自分のメンタルを無理矢理痛めつけるようなやり方、そしてそれで潰れるようなやり方はただの自傷行為でしかない、自滅にしかならないのである
俺はそれを10代で身を持って経験したからなおのことそれは間違っていない論だと確信が持てる
自分のメンタルを害するような努力なんざクソ
自分のメンタルを整えることこそが最善である
特に自分は他人よりも万倍もメンタルで極端にやる気が出たり下がったりするピーキーで繊細なタイプだから猶更だ
そもそもアホみたいにメンタルで極端に振れ幅が変わるので気分を絶好調にしとけば勝手にエネルギッシュに頑張ってくれる
要はメンタルケアをキチンとできてさえいれば俺は勝手に頑張るのだ
無理矢理抑えつけて滅茶苦茶にやらせるようなやり方は俺をどんどん駄目にして潰すだけ
今日はそんなお話でした