優生思想は結局正しい

能力こそが全て

 

例えばあなたの身内に重度の障害を抱えてる人が居たらどうだろうか

途端に生活は大変にならないだろうか

パフォーマンスが落ちたりしないだろうか

ましてやそれが他人同士の結び合いである夫婦なら離婚事由になったりはしないだろうか

 

要は「能力が高く無ければ誰かを不幸にする」のである

そういう仕組みになっている

原始時代から今日に至るまで全ての生物はその縛りからは逃れられない

 

ただ個人的に一番問題なのは「能力がないこと」それ自体ではなく「能力が無くても問題がない」という認識の欠如やズレが最も問題だと思っている

これについてはニーチェも「力への意志」でその様に触れている

「無能が悪い」という認識があれば誰でも能力をつけようと努力するあるいは何かで頑張ろうとする

しかし「無能は問題ない」という認識はそのまま何の努力もせずむしろ無能を肯定するからである

勿論俺のこの理論はガチガチの武家思想に近く合理的で無駄が無い

だが息苦しく万人に受け入れられる訳がない厳しい思想なのである

俺だって毎日筋トレやらない奴はクズだと言葉を浴びせられればやりたくもないのに辛いと反発したくなる気持ちは分かる

ただだからと言って「何もしなくていい」とはならないしそれは違う

昨今の甘やかされ続けたクズは「僕はあれができません。そして何も頑張りません、それで問題ありません」と本気で考えている

マジで何の取り柄もないようなゴミがのうのうと生きているのである

それが一族、村、町、地方、国と広がると無能がいればいるだけ社会の負担は大きくなる

そしてその結果はもう既に如実に社会に反映されて結果として出ている

これだけ国家や地方や個人が衰退しているのはあまりにも「無能」が多過ぎる故の結果なのだ

グローバリズムがどうとかいう話もあるが俺はそれだけではないと考える

なぜならゲームや音楽や映画、品質の高い車などを易々と果たして海外で作れるだろうか?

要はグローバリズムの外にあるような分野でさえ日本は随分結果を出していなくはないだろうか?

グローバリズムを盾にして自らの無能から目を背けてはいないだろうか?

なぜ低予算で作られたカナダの映画「CUBE」や韓国の「パラサイト」のような面白い作品が無いのか?

他のエンタメも全部同じ

つまりこれは日本人そのものの質の低下でしかないのではないと推察できないか?

俺はこの考えは概ねとして間違っていないと思う

 

話を戻そう

俺はこんな今に始まったことではない話をしたいのではない

俺自身にもっと直接関与する話をしたかったのだ

俺は人間を信用しないし人間と関わらない

なぜなら上述するように無能と関わるだけデメリットでしかないからだ

だから俺は合理的に無能とは関わらない、シンプルにそれだけだ

具体的には身内と縁を切る

特に俺自身を幼少時から虐待してきた母親とはほぼ一切の関わりを断ちたい

地獄に落ちて死ねばいいと心の底から思っている

それを間違っているとも思わない

むしろ合理的で素晴らしい判断だと我ながらに思う

そういう損得勘定で動けない人も中にはいるだろうが俺はできる

幸いにも俺自身に元からなのか後からついてきたのかは分からないがそういう才能はあったようだ

俺は無能と関わらない

理由は何遍も言っているようにシンプルに「メリットが皆無でデメリットしかない」からだ

金を払わない会社で働く、金を出さない客と関わるのと全く同じことだからだ

だから俺は無能とは関わらないしこれを徹底している

そして自分自身が有能になるしかない

これが一番自らを助けそして自分以外の誰かの為にもなる生存戦略なのだ

無能と関わらず自らが有能となる

これ以上の合理的行動は人生において存在し得ない

 

今日はそういうお話でした