文字を綴ることでしか人生は表現出来ない

今自分が何をしたいかを考えていた

何を食べどう過ごし何を考え生きるのか

そんなことを常日頃ずっとずっと考え続けている

孤高であることに果たして答えはあるのか

 

そう思っているとふと記事を書きたくなった

動画作りの下準備はとうに済ませてあり後は収録するだけなのにそれをしない

それをせずに我は記事を書く

思うに意味を感じない

動画の再生数の高い低いじゃなく多い少ないでもない

単純にYouTubeという媒体、強いては動画というコンテンツに意味を見出せない

勿論中にはそれが活きることもあるだろう

だが、音声よりも動画よりもビデオゲームよりも

ただの活字に救われることの方がなんだかずっと多い気がする

勿論活字が全てじゃなく

何というか人が何かとてつもなく大きな大きな問題を抱えていたとして

そんな中でゲームって楽しめる?

そんな中で台詞のついた絵って楽しめる?

そんな中で映像って楽しめる?

そんな中で音楽って楽しめる?

そんな中で音声って楽しめる?

そんな中で食事って楽しめる?

 

そう、楽しめないんだよね

少しも微塵も楽しめない

何か気がとっ散らかって意識が集中出来なくて頭のモヤモヤがずっとずっとこう、こびりついていて離れない

 

そんな状況で出来ることと言ったら睡眠だけで

わずかでも余力があれば入浴が精一杯で

それ以外のことやエンタメは何も心を揺さぶられない

だから私は今文字を綴っている

ブログ記事を書くことだけが脳の癒しになっている

つまり孤高の日々とは自分自身との対話に他ならない

そう、視聴者数は0でいい

再生数も0でいい

なんなら動画すら必要がない

俺が、俺と、ひたすら対話をし続ける

それが孤高の日々の全てなのだ

 

つまり必要以上の金や時間は無意味だ

そんなものに意味などない

そして余生もそう

今すぐ死んだって50年後に死んだってそこに正解も不正解もない

ただあるのは俺が俺として人生の時間を全うしたという結果だけが残る

人生は楽しくて楽しくない

人生はつまりながらつまらない

人生は悲しくなくて悲しい

人生は無意味でありながら無意味じゃない

人生は、面白くなくて面白い

 

ああ、今、僕は存在している!

 

休みをそう過ごしていると

今仕事を失ったり或いは働かなくてよくなったりして時間や金をあるだけ得たとしても

それは全く僕にとって意味がないことが分かる

 

それは例えるなら人が人間サイズのまま蟻の社会へ入りそこで蟻にとって重要な資産と時間を手にするのと同じだ

スケール違い

じゃあそこで蟻と共に行動して働いて生きることに意味はあるのかと問われたら

何もしないよりかはまだマシ

空っぽな人間が空っぽに何もしなければゼロのまま

だったら何かした方がいい

何もしないより何かする

その方が生きる上ではずっといい

 

では最後の質問だ

今君が莫大な時間と金を手にした時何をする

僕は変わらない

その金と時間は意味がない

働く時間が僅かでも減り投資を増やしYouTubeのネタ探しを延々とする

今とほぼ変わらない生活を送る

そして目標もなくただ寿命が尽きる日を待つ

それが私のルーティンだ

 

人生はルーティン

それ以上も以下もない

明日は仕事なのに、今僕は幸福のど真ん中にいる

それは仕事をしているから感じられることだ

仕事をしていなければこの幸福感はない

恵まれていないことは恵まれている

そのおかげで些細なことに幸せを感じられる

 

何も得ないことこそが全てを得る

何もないから全てがある

空っぽだから無限がある

 

人生を楽しめ