俺は金があっても不幸だという事実

仮に自分が何億でもいいがまぁ適当に5億持っていたとしよう

仕事を辞めるに十分に値する金額を持っているとする

果たしてそれで自分は幸せになれるのかシミュレートしてみた

 

週休7日、雑に月給換算すると(今から90歳まで5000万残しの4億5000万使うと仮定)月給61万

 

うん、まぁこれ以上ない金額だ

多分61万すらとても1か月では使い切れない

そう考えると10億も100億も稼いでる人達は一体何の目的で稼いでいるのか自分には想像さえつかなかった

挙句税金逃れまでして

何とも見苦しいなという感想以外何も浮かばない

結局5億稼いでも楽しくないから金をさらに稼いでるのだろう、全く馬鹿で虚しいな

まぁこの話は置いとくにして

 

果たして自分は幸せかという点だ

週休7日の月61万の生活を送れば俺は幸せか

おそらくだが不幸だと断言できる

なぜなら俺には何もできないからだ

この1年を通して自分のやったことを振り返ればそれは容易に想像がつく

低質なゲーム実況動画を4本挙げただけ

これはもうね、言い訳が効かない

俺には才能が無い

結局休みが欲しい時間があればとか言い訳をしてる人間はどれだけ時間があっても何一つ生み出せない

なぜならそこに明確なビジョンが無いから

だからはっきりと言おう

この世で才能の機会的損失は無いに等しいと

ガキの頃やニートの頃はこう思っていた、俺に金があればと

今になって思うのは いや、金があっても俺は何者にもなれなかったよ

小さなコミュニティのトップにすらなれないだろう

なぜなら俺に才能も魅力も無いからだ

人としての資質や素質や素養が何一つ無いからだ

俺は欠陥人間だ

それが30を前にしてようやくわかった

えっと、じゃあどうするんだ?

金があっても無理、時間があっても無理

じゃあ俺は残りの余生をどう生きるの?何を目標に生きたらいいの?

頑張ってる奴らや結果出してる奴らの足を引っ張ることしかできないのか?

一体人は何がどうあれば幸せになれるんだ?

今はそのビジョンが何も浮かばない

思いつく限りを考え尽くしてもいい答えが出てこない

俺ほどの人間が考えても出てこないのだから相当に人が幸せになる方法というのは狭く短く小さいものだというのが分かる

俺の幸せを断片的に書き起こしてみる

・HDブラウン管

・ゲーム

・皆がワイワイ

・一人でゲーム

・女の子とゲーム

以上が俺の思いつく限りの幸福だ

あっ これ死んだほうがいいな

あぁ生きてる意味あんまないかもなこれじゃ

俺が幸せになる方法がそもそもあまりにも薄い

アルバムすら作れないような収録曲数だ

ミニアルバムがやっとの曲数

あーくだらねえな、あまりにもくだらねえ

そうか

死ぬか

あー…

ゲームしてて女の子が煮物を作ってて

炊飯器の炊けた音がピーッとなって「ごはんできたよ~」なんて声が離れたとこからし

俺が「うーん」と返事してゲームをスタートボタン押して中断して

「ご飯美味しい」なんて話をしてゲームが「難しい」とか「今いいところ」だとか言って

「そうなんだ」と言葉を返してくれて「ジャルジャルどうだった」と俺が聞いて

「面白かったよ」と言ってくれて「後で見てみる」と答えて

「映画なんかあるかな」と聞いて「あんまりないね」と言われて「そっか」と俺が返して

「御馳走様でした」と言って食器を洗ってコップに飲み物を入れてそれを持ったまま部屋に戻って座って飲みながら休憩してゲームを再開するかどうかを考えて

「疲れたな」と無に向かって呟いて「人生ってなんなんだろうな」とボヤく

 

俺が幸せになれないのは俺自身に問題があるというのがよく分かる

まずはそこから考えていかないといけないのが理解できた