ゲーム実況動画の今を語る

最近やってるゲームの動画を観たりする

その際にそれが生声の実況動画だったりゆっくり動画だったり様々だが

思うのはチャンネルの登録者数が多かろうとそうでもなかろうとクオリティの差はほぼない

みんなトークは最低限には出来るし声質も悪くなく使ってる機材も何も問題なく声真似などのスキルも2人に1人以上は出来る事態になっている

要するにウケていること、正解なことはちゃんと問題なく押さえることが出来ている

これを見て感じるのは「野球やサッカーやバスケ、M-1などの漫才と同じだな」と私は感じたのである

要するに洗練され過ぎて最高率な手法が見える化しそして均一かそれ以上にこなせる者が溢れ出してきた

要するに競技化が進みレベルが高くなりもはや甲乙の差がほぼ無くなってきた

現代の食い物が何を食べても最低限の味の品質を保っており不味いものの方が希少なように

漫才もゲームの実況動画もどれも最低限以上のスキルを持っているプレイヤーが増えた

競争過多の行く末と言われたらそれまでだがやってることが些かテンプレ過ぎる気はする

皆同じ形式とスタイルで内容の変わり映えの無さはすごい

独自性が見当たらずそいつである必要はほぼ無く代わりは幾らでも効くような状況だ

俺は別に否定も肯定もしない

皆努力してテンプレのスキルを磨き構築を築いたのだと思う

模索もなく正解を淡々と磨いていったのだ

それ自体は素晴らしいとさえ思う

ただその結果が偏っている、変わり映えがないという結果を生んだだけで

これも成果主義の弊害と言えるかもしれない

何でもかんでも即結果を求められる昨今

それ故に新しいもの、カタチは生まれなくなり均一化された同一商品がベルトコンベアのように流れてくる

 

本当にそれが正しいのか?

その是非を問う立場に自分はいないが

同じ動画を投稿する者として忘れてはならない矜持はある

というよりも私の人生で掲げているテーマだ

それは「俺だけのマッハ」

常に俺だけのマッハを追い続けたいし追い求めていきたい

前人未到、まだ誰もやったことのない何かにこそ真の価値は眠っている

でなければ面白いなんてことは俺の中ではあり得ない

ただ今俺がやろうと浮かんでいることも先を越された場合(おそらく出てこないだろうが)

いよいよ手詰まりなのもまた事実だと思う

もう俺に残された時間も、また方法もどんどん狭くなってきている

常に一年一年をラストイヤーだと身構えて挑んでいきたい