人間とは究極原始時代から何も変わっていない

私はつくづく頭で考える人なんだなと嫌になる

馬鹿のくせに頭で考える

それはつまり考えるのが好きだから考えることに固執し考えだけで解決法を見つけたり最大効率を出したり楽をしようとするのだ

それ自体はまぁ悪いことじゃない

だが考えるだけで終わるのは論外だ

人間とは究極動物な訳で

考えで生きる生物ではない訳だ

もしそうなら静物とか考物というものになっていなければ辻褄が合わない

要は動く、人は行動のみによって生きることが可能なのである

ただ私は行動というものが大の苦手であり嫌いである

できる限り動きたくないし何もしたくない

根っからのニートのようなクズでその性根は腐り切っているゴミそのものである

ただそんな私でも最低限仕事にいき最低限働きそして最低限稼いで最低の飯を食って生きている

それ以上でも以下でもないただのド底辺そのものだ

ただ良くも悪くもなのだがこの行動力の低さが全てに当てはまっていて

何かのアイドルやバンドの追っかけになったこともないしギャンブルをすることもないし派手に遊んだりも飲み歩くこともない

それらは全て行動力の低さから出ている

そして同時に働くこともしたくない

極論生きることも嫌だし休むことも働くこともしたくない

要は全てが嫌なのだ

究極のワガママ

だから情けないと思いつつもした方が出来た方がいいと思いつつもそれが出来なくても実はそんなにショックに思っていないのである

心のどこかで実は安堵している

あー良かったと、面倒事が増えなくて助かったと考えている自分がいるのも確かである

ただのクズだ

そしてそんなクズで煮え切らないこととして

自身の成功を喜ばない

という悪癖がある

本当に嬉しくないのだ

何にも感動しない

いや、実はあるにはあるのだが本当に嬉しかったことなんて本当に少ない

そしてその数少ない成功の喜びさえ時間が経てばどうでもよくなってしまう

ああ、そんなことあったね

つまり人生とは諸行無常

全部がどうでもいいことなのだなぁと強く感じるのである

 

こだわりがないってのはつまらない

結局それは好きじゃないことの裏返しなのだ

好きだからこそあーだこーだと注文をつけられる

好きじゃなければ別に最低限でなんでもいい

私は無思考人間になりたい

人間は昔から狩りをしたり漁をしたり田植えをしたり採取したりして生きてきた

何もせず考えるだけで飯を食ってきた訳じゃない

今だって労働をして金を稼いで食っている訳で

家でボーッと何か考えてそれで飯が出てくる訳ではない

漫画家や小説家だって手を動かしてアウトプットして出版社と打ち合わせをして世に出して金にしてる訳で

発明家でも研究者でも教祖でもなんでも同じ

自分の好きなように考えてるだけで金にして食ってる奴なんてこの世には1人もいない

ただ別に俺は考えるのが悪いと言ってるんじゃない

俺は考えるのが好きだしなんなら一生脳が回る内は延々と考え続けたいキチガイだから

ただ考えるだけで何もしないような奴は本当にダメ

論外だ

そして俺はその論外なのだ

多分それは覆せない

俺はその論外のままとして生き論外として死ぬしかない

それが俺なのだ

論外人

死ぬほど行動が嫌いで何もしないクズ野郎

本当に生物としてあり得ないよ

動け、頼むから

疲れるとかやりたくないじゃなくて動け

でもまぁ動かないんだな、動きたくないから

まぁそれでも別にいいんだけどさ

文句も言わないし後悔もしないし何より成功しても喜ばないしね俺

嬉しくもなんともないもんな基本

大金貰っても何してもどうでもいいと思ってんもんな本当

まぁそれでいいんじゃないですか

多分前世はナマケモノ

そしてそんなナマケモノが絶滅をしないのはなぜか

それは「滅多に動かないから外敵に襲われない」という外法

つまりナマケモノは本当に下手に何もしないからそれが逆に強みになっているという皮肉

まぁ何が正解かは本当に分からないですね

人間万事塞翁が馬

私はナマケモノでありながら闘将でありたいと思う

人に優しく人に厳しく何も求めず行動し時折全く動かない

訳の分からん人間ですね

 

まぁ究極いいと思う

要は裏を返せば何にも執着がないってことだから

執着が無いと生きるのは楽だしね

何にも縛られない自由がそこにはある

自由な猿、それはナマケモノのことだったのかもしれないな

私はいつか、自由になる

自由な猿、自由なナマケモノ

そして自由な闘将に