金と時間と人は無価値になるかを考察

最近ふと冷静に考えを巡らせているとお金って意味あるんだろうかとか時間って意味あるんだろうかとか人との繋がりに意味があるのかを考えていた

 

お金のメリットとして老後が安泰だとか急な事故や病気に対応ができるとか資産運用で不労所得がだとか色々挙げることができる、が

それってそこまで重要だろうか?と思うのである

つまりどういうことかと言うとじゃあお金が無いと今現在のあなたは不幸なんですか?という話なのである

今はそうじゃなくても事故や病気の安心感がという点についても同じだ

じゃあ事故や病気になってもお金があれば幸福なんですか?と

次にお金が無いよりかはあるほうが確実に幸福と言うが

つまりそれだけの差異の為だけにあなたには莫大なお金が必要なんですね?と返すことになる

結婚がとか子供がとか家族が形成できる、車や家を持ち豊かに暮らせると答えるかもしれない

つまりあなたはそれらが無きゃ幸せでは無いということになる

それって言い換えると「贅沢」なだけと言えなくは無いだろうか?

つまり私は月に10万円の食費を使わなきゃ幸せを感じないと言う人と変わらないのでは無いだろうか?

嗜好品に何万円、ソシャゲの課金に何万円と言ってる人達と何が違うと言うのだろうか

そしてそんな人間をあなたはどう思うか

私の率直な感想を言えばそれら全てが「無駄」でしかないに尽きるのだ

逆にお金は持てば持つほど失うことへの恐怖が増しはしないだろうか

お金を得て安心感を得るつもりが逆にお金が目減りすることの恐怖感へといつ牙が剥くかに脅威を感じてはいないだろうか

以上が私の「お金」に関する見解だ

 

次に時間

私は時間はあり過ぎるべきでは無いと考えている

毎日が日曜日とは毎日が地獄と同義である

そんなに時間があって一体何をするというのか

以前にも書いたが人間は少しの嫌なことがある方がやりたい事やしたい事の喜びが増すようにできている

もちろん働き過ぎは良くないが同じかそれ以上に時間を腐らせる程持つことは地獄である

短いが以上が私の「時間」に対する見解

 

最期に人だ

私は他人を不要だと思っている

関わりやしがらみは少なければ少ないほどいいと思う

なぜなら他人は無能だからだ

もしも他人が有能で素晴らしい存在だと言うのなら社会や世の中や政治や経済はこのような出鱈目になってなどいないし犯罪も存在しないし法律や規制なんてものも有り得ない

勿論今の自分は他人が作った家を借りて住み他人が作った食物を食べ他人が送ってくれた物を手に取ったり様々なサービスを施されて生活している

それについては当然感謝している

ただそれでも「それ以上」の距離感で必要ないことには何ら変わりはない

その一線を踏み越えて関わることのメリットは薄い

故に友達やコミュニティの形成は必要としていない

なぜならやはり他人は無能だからだ

他人は常に間違い続ける

他人が自分にとって正しいことなど無いのだ

自分にとって正しいことは自分でしか有り得ない

「それはおかしい」と思う人がいるのなら

どこか治安の悪い場所で他人と接しそこの滅茶苦茶なローカルルールに素直に従うことに同意するのと同じだ

「他人が正しい」とはつまりそういうことだ

他人が正しいの常に他人にとって正しいだけ

自分にとっては何の正当性もない

正論や合理性など他者にとってはどうでもいい鬱陶しいものでしかないのだ

だから社会には「法律」や「規則」があるんだろ?

もし他人が常に正しいことしかしないなら法律や規則なんて存在する必要性がない

法律や規則に引っかからずとも他人なんて自分のことしか頭になく自分さえ良ければそれでいいと思って生きているのだ

そんな奴と関わって一体何になる?

だから俺は他人を要しない

金を払って必要なだけのサービスを施されればそれでいい

それ以上など求めていない、鬱陶しいだけだ

以上が人に対する見解である

 

つまり私は金も時間も人も何もいらないのだ

欲しい物はたった一つだけ

強烈な才能だ

それも自分を喜ばせることのできる楽しい力を欲している

地産地消

自分が自分を楽しませられるならこれ以上の喜びやコンテンツなど存在しない

以上が私の価値についての考察でした。