瞑想に耽る +後日談追記

最近瞑想に嵌っている

仰向けになって延髄を刺激し首の感覚が痺れてきて目にタオルを被せ暗闇の中を夢遊する

気分がどんどんハイになりいつまでもこのままでいたい感覚に陥る

何もいらず何も用いず己のみで全てが完結するこの状態がとても素晴らしく肉体と精神から疲労感が抜け出ていく

それがとても楽しいのだ

優しい自問自答が続き感覚が敏感になり呼吸さえも楽になり楽しくなり僅かな身体の動きが心地良い

その極楽体験にわざわざ温泉やサウナはいらないし大麻なんかもいらないのだ

身体から重力の負荷が抜ける感覚

それを不快に思う人などいない

 

上手くいく時もあるしそうじゃない時もある

だけどそれでいいのだ

毎回毎回同じ感覚などある訳がない

それも含めた上での瞑想という作業だと私は思う

 

<後日談>

思想は大本はほぼほぼ学び終えたしライフワークとしての瞑想も取り入れて大方満足している

だがその上で自分がどう生きるかを具体的に書いていこうと思う

いくつかのプロセスに分けて書くと

 

・金

・家族形成

・居住場所

・食

・趣味

・労働

・将来と老後

・末路

 

金:あってもなくても大して変わらない。借金さえしなければどうでもいい

家族形成:他人を信用するなという韓非に倣い家族も友人も作らない

居住場所:なるべく1人で生きるのに利便性のいい場所が好ましい

食:なるべく食うな

趣味:疲れないものがいい。することが無かったり気力が無い時は全て瞑想と休憩にあてる

労働:必要最低限だけやる

将来と老後:人生で最も恐れなければならないことは「偽り」を生きること。自分が自分に不誠実な生き方をしてはならない

末路:満足だろうと不満足だろうと最後は死ぬだけ、それが人生

 

まだ何かやり足りない、書き足りない気がするのは自分の気のせいなのだろうか

何かまだ大きな見落としがあるような気がするが今の段階ではまだハッキリとは分からない

人が人として何が理想で何が満足で何を求めているか

それが人であるはずの自分がまだ分かっていない

自分が自分を理解できない、理解を遥か彼方先に置いてきぼりにしている

自分でさえ自分を理解してやれない

この怪物を手懐けることが上手くいかないのだ

まるで子供に手を焼く大人の様に

 

人は我侭に生きなきゃいけない

人は思うがままに生きなきゃいけない

人は理想を噛み砕いて旨そうに咀嚼し飲み込まなければならない

人とは何なのだ

韓非は言った。

人とは利で動き、信用ならず正しいことを聞けない生き物だと

ならば正しいことしか言わない考えない俺とは人ではないじゃないか

俺は人間じゃないのだ

そして自分の2つの精神

1つはこうすればいいああすればいいと合理的な案や妥協案を思索し提案する精神

1つはそれを実行に移して違うと感じた時我侭に振る舞う精神

 

人とは違う生き物のバイブルがこの世には無さ過ぎる

人についてのマニュアルや取扱説明書は十分に理解した

俺という生物のマニュアルは一体どこに存在するのか

それが分からない

正しいことが真っ当に通ることのない社会、それが人間社会だ

だから不満が溜まるのだ、人間じゃない奴らにとってはこの上なく苦痛

嘘と虚飾で塗り固めた非合理的な環境が人間じゃない奴らにとって噛み合う訳がない

何もかもが理不尽で理の無い道理なき世の中にウンザリしない訳が無いのだ

結局そんな世の中や社会である以上人間じゃない俺にとってはどう足掻いても絶望しかないだろう

これこそ猿の惑星に他ならずリアルウォーキングデッドだと言ってもいい

そんな社会で主人公達は幸せに生きられるか?

答えは否だ

彼らは絶望の中を自身の気力で生き

最期は絶望に飲まれて死んでいくのだ

俺がこのゾンビワールドの主人公だ

運命はもう決まっている

それをもう過程はどうあれ受け入れるしか無いのだろう

ではまた