合理夢遊戯

ヨーグルトで腸内環境を良くしお酢を飲んでアミノ酸を摂る生活を送るとどう変化するか

 

僕は眠る時間が長くなった

うつらうつらとまどろみ夢の世界へ誘われる

1日に計14時間眠る日もあった

そしてそこで僕は真理を見た

 

「夢世界」

 

夢世界へ着くとそこはゲームだった

ゲームのような世界だった

ホラーゲームのような世界

そこで僕はプレイヤーキャラだった

僕は武器を持っているが使わず何度もプレイしているのか最小限の敵との接触でステージを潜り抜けていくプレイングをしていた

水の中をひた進んでいく、それがすごく面白く、楽しかった

怖いなんて感情は無くただただゲームをやってる時の興奮感しかなく心地よかった

そして夢から醒め目覚めると僕は全てにうんざりしたように気づくことになる

 

ああ、これでいいんだと

 

ゲームなんて買わなくても夢でゲームを遊べばお金はかからない

友達や共に遊ぶ仲間が1人もいなくても夢で他人はいらない

長時間夢を見て遊んでも目や体は疲れない

ゲームで負けて自分の腕や他人を責めたくなるような非生産的で不毛な気持ちも感情も湧かない

コントローラーや回線のせいにすることもない

 

これこそが合理的な最大の遊びだと気づいたのである

まさに色即是空そのものじゃないか

この世の全ては空(無)である、つまり夢のようなもの

生まれや育ちや能力で決まってしまう現実の不条理や限られた席の数で争うなんて不毛で非合理的なくだらないことをしないで済む

これはルサンチマンなんかじゃない、ただの真実だ

そう気づいたとき全ての景色が変わってしまった

少し、僕らは現実という物質至上主義の世界で生き過ぎて行き過ぎたのかもしれない

物なんて必要ないじゃないか

ゲーム会社を立ち上げなくても他人と関わり合わなくても資金なんて無くてもいくらでも欲しいものや見たい物はいつだって常に「頭」の中にあったんだから

場所やコストも掛からない最大の保管場所に既にしまってあったのに

なぜ現実世界でまであれもこれもと金と時間を使って集めてしまうのか

なぜそんな無駄なことをただただ延々と延々と終わりなく繰り返していくのか

もはや重過ぎる業のように思えてならないのは自分だけだろうか

本当は最初から全部持っている、欲しい物は全部

宗教的な言い回しだが人間は本来全員既に救われている存在だって思える

ただその自覚が大半の人間に無いというだけの話で

本来現実で遊ぶ意味なんて本当は無い

夢で遊べばいいだけの話だ

それが何よりも合理的場所も時間も金もかからない体力も使わない最大の遊び

問題なのはそれが視れるかどうか

自分の仮定ではこれを視るのには才能がいる、環境がいる

心地よい空間で健康な状態で眠ると見れるような気がする

 

合理飯→合理夢遊戯と来て次は一体何が自分に合理的なものがくるのか

合理性が増せば増すほど自身の次元が上がる

最後は合理的な「時間」なんじゃないかと思うがそれがなんなのかは分からん

薄っすらとは想像つくがそれが本当に合理的な時間なのかの理解が追い付かない

 

 

そもそも合理的ってなんだ?何を根拠に合理的なのか

ではまた