「無」とは何かを解説

つい先日「無」を理解したので今回はそれについての自分なりの解説をしようと思う

そんなに内容は難しい話ではない、至ってシンプルな話だと思います

 

「無」とは日常に溢れているものです

友達がいないという無

金が無いという無

恋人がいないという無

趣味が無いという無

家族がいないという無

 

このように無とはどこにでもある当たり前な存在である

この世の大原則は「色即是空

この言葉の意味はこの世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)であり、不変のものではないという意。

まずはこれを受け入れ理解することが必須かと思います

 

次に先程に挙げた様々な「無」がありますが

これにネガティブなイメージを持ったり虚しいという感情を抱いたらそれは「虚無」になります

「無」と「虚無」は全く持って似て非なるものです

「無」は受け入れ気にせず生を肯定していますが

「虚無」はそれ自体に押しつぶされ生を肯定できていない

こんな違いがあります

例えばですが高級時計に興味がすごくある人と全く無い人がいた場合その高級時計を両者共持っていなかった場合

興味がある人はそれに対して深い絶望を感じますが興味が全くない人は持っていなくても全くそれを気にしないのと同じです

2人とも同じ「無」なのに全く違う結果が引き起こる訳です

厳密に言えば若干違うけど簡単に例を出すとこんな感じです

要は無を肯定できれば「無」であり無を肯定できず否定的なら「虚無」になる

 

つまり

「ああ、別に俺友達とか家族とかいらねえから」と強がりでなく本心から思っている人間は無を肯定し生を肯定できているが

「俺は友達も家族もいない、生きているのが虚しい」と思っている人は虚無に押しつぶされ生を肯定できず否定感情に苦しめられる

 

でもそんなの簡単じゃないでしょと思う方は正解です

簡単なことでもないし生半可なやり方では無を肯定できないことも多いです

まず友人や家族を持たない「無」を肯定するには徹底的な「他的存在」つまり「他者」を全否定する気持ちが無ければ難しいです

つまり自分以外の存在はほぼ全ての人間を「猿以下」と思えなければ「友人や家族を持たない」という価値観を肯定しづらいです

他にもやり方はあるかもしれませんが自分の場合は徹底して他者批判を繰り返しました

そして他人に全く期待感を持たなくなりました

そうすることで孤独であることを肯定でき無を肯定し生を肯定できるようになったのです

あ、これがベストじゃん、無っていいなと心から思えるようになりました

 

じゃあ究極は自分のできないこと持てないことを全て否定してありのままの動物みたいな自分を肯定し生も肯定することなのかと問われたら

おそらくはそうなんだと思います、そういう存在に各々がなりたいかと言ったらまた別の話だとは思いますが要はこの発想や思想って人間の「自然回帰や動物回帰」なんですよ

人間として人間が生きることが息苦しいし大変だしちっとも良くないじゃないかと思ったり感じた人への逃げ道のようなもの

もちろん全く大変じゃないし所有することが幸せだと思う人はそのままでいいと思うんですよね

ただ全員がそうじゃないっていうだけの話で

 

他にも金の「無」だと金なんて生きていけるだけあればそれで十分じゃん

稼ごうと思ってもコロナだなんだで先のことなんて全く不透明で自分の力じゃどうしようもねえんだから考えるだけ全くの無駄じゃん

とすることで自己責任の枠から追い出したりすることで現在の状態や金の無を肯定したり

要は「自分は最善を尽くせてる、これ以上はどうしようもないっしょ」と肯定

要は様々な自己肯定法を用いて己の「無」を「虚無」にしないことで自己の生を肯定することは有益だよって話なんですよね

実際どうしようもないことは多いでしょ?

災害だったり疫病だったり自身が病気にかかったりと人生は予定調和的には進まないことが多々あるんだからそこに「自己責任」を感じることって不毛じゃないですか

少なくとも僕はそう思いますね

自分を助けられるのは自分だけ

他人は決して自分を助けることなんてできない

ではまた