結果が欲しい、簡単に物が手に入って能力をつけて理想通りの結果が
本を読んだだけで究極の思想を手にするような
息を吐くだけで能力が上がるような
そんな結果が私は欲しい
ヘーゲルは弁証法により人類は進化を遂げると言ったが私は無理だと思う
どれだけアウフヘーベンしようと「楽して力を得る」なんてことは永遠に叶わない
不老不死もそうだ
キルケゴールもおかしな話に思える
自分自身なんてそんな重要なものだろうか
勿論そうだという人間もいるのは確かだがそんなに自分って大事だろうか
そこまで価値や意味ある存在と言えるだろうか
それすらも怪しく思えてならない
デカルトは観測者としての自身の精神は存在するみたいなことを言っていた
確かにいるがいたからなんだ
観測していても面白くも無ければ楽しくもない
矛盾だらけで起伏も無いつまらない映画のような何かを延々と見せられていく「自身の生」というコンテンツに意味と価値はあるのだろうか
自身の人生に絶望した時人はどこへ向かえばいいのか
やれ神だ宗教だそんな話はクソほどにもどうでもいい
ニーチェは高みをひたすら目指せと言いプラグマティズムは役立つことに特化しろと言いアダムスミスはやりたいことをやればいいんだよと言うが
どいつもこいつも間違っている気しかしないのは俺の気のせいか?
釈迦は欲から解脱しろと言ってたか
それもどう考えても違くないか?
フロイトは無意識に意思は操作されてんだって言う
じゃあ俺達は思考なんてものは本当はしていない、或いはほとんど思考なんてしてない
虫や動物とほぼ変わらない本能で動いてるということになる
じゃあ自殺する人間がいるということは無意識に生きたくないと思う人間がいるってことになる
じゃあつまり全ての人間に当てはまる共通解なんてあり得ないし存在しないってことだ
じゃあどうすりゃいいんだ
俺は何が幸せなんだ
どう生きたいんだ
そして何になりたいんだ
何も分からない
答えなんて無いのだとしても自分が求めることくらいは分かっておきたい
そんなものが例え存在しない「無」なのだとしても
「依存」に依存したい
でなければ生きるということに意義が薄すぎる
目的も目標も薄すぎて耐えられない
俺の人生に意味と目的をくれ
幸せなんかいらない
俺は何の為に生きてんだ