特に欲しい物が無い

欲しいものが無い

精々働かずとも収入が得れる資産が欲しいと思うだけでそれ以外は特に欲しくない

その資産が欲しいという理由も「自分が働けなくなった時に助かるから」という以外に理由が無い

 

そして俺はもう在宅以外での労働なんてこれっぽっちもしたくない

あんなリスクでしかない罰ゲームをなぜやらねばならないのかという合理性が欠片も無いからだ

 

私とはつまり合理性そのものであり合理性とはつまり真理そのものである

 

この世に書かれている書物はほとんど全部がデタラメであり

それらに金と時間を消費して無益なことを大半の人間がやっている

思い出して欲しい、デカルトは「数学以外何の根拠もねえ」と

 

なんというか私の人生のビジョンは7割の地点にまで達しているのだと思う

残りの2割は人生における資産形成に費やし

最後の1割はやりたいことをやる行動に費やすのだと思う

 

人生とは効率であり合理性である

それが幸せかは分からないが合理的、ただ合理的なだけ

もし私の資産形成フェイズが終了すれば合理的人生論を述べるのもアリかもしれない

くだらない内容だが

 

唯一残った謎は労働とは、仕事とは、社会とは、家族とは何なのかについての謎が未知なままであること

そもそも価値観なんて時代ごとに変化していくもの

例えば結婚についての価値観も昔と今では大違いになっている中で昔ながらの社会システムを継続するなんてことが果たして可能と言えるだろうか?

数学以外の全ての学問がデタラメと言われる所以もそこである

人間の価値観や構成が変容していく社会で絶対に正しいと言える経済なんてものは存在しないし維持もできない

そんな中で民主主義のようなスローなテンポの政策では何もかもが後手後手でアジャストな方針なんて取れる訳が無い

 

思考停止で「これが絶対に正しい」なんて思い上がりで続ける限り良い社会なんてのは絶対に訪れない

SNSの誹謗中傷で人が死ぬ現代、今から10年前にそんなことが起こるなんて誰が想像がついただろうか?

そうだ、今までなかったことが突如として現れるのだ

それに即座に良い対応なんてできる訳が無い

臭いものに延々と蓋をし続けるだけの現実逃避をしていくだけなのだ

原発から生み出る有害物質の処分の仕方と同じようにね

自分が死んだ後のことなんざ知らねえよという精神で

それが現代では正しいとされる感覚であり価値観だ

くだらないと思わないか?今の常識なんて、正しいとされている考えなんて

俺は全部クソッタレだと思っている

俺こそが真実で、俺こそが正しくて、俺こそが全てなのだ

それ以外の考えなんてくだらねえ何かでしかない

そしてそれが馬鹿な人間と言われている猿には1㎜も理解が追い付かないだけだ

それだけのことでしかない

社会の常識なんてものは疑え、教科書や本に書かれていることは全部嘘だ

自分で考え自分で正しいと思うことのみが正しい場合がある

しかし、大半の人間にはその域にまで到達できず何が正しいかも判らないまま流され息絶えていく

真実に永遠にたどり着けないまま

 

私には運命が出ている

私は金に困ることが決してない相がある

これは「占い」という全くの無根拠に近い情報だ

それが本当にそうなるかは分からないが1つ明確なことを挙げれば私が無欲そのものであること

無欲であるがゆえに金に困ることがない

そう解釈することも可能なのだ

つまりはマクベスの3人の魔女の予言だ

解釈次第では言葉とは表裏でありどうとでも取れるということだ

私が金を稼ぐ才や運があるから金に困らないのか

私が人と関わらず金を使う欲が薄いから金に困らないのか

あるいはその両方か

綺麗は汚い、汚いは綺麗

占いの強さとはつまりそこである

 

「これは-であり+でありあるいはその両方である」

つまり全部の答えを言っているのだからいずれかに当てはまるケースが多いのである

これは老子の上善如水を体現していると私は思う

水はさまざまに形を変えその時々に合った形をする

水は逆らわない、だが間違わない

結局先のことなんざどうなるか分からないんだからどちらとも取れる考えを持てと解釈することができる

占いという思想の強さはまさに水そのものに近いと私は思う

ハッキリとは言わないが先を考えて対応できるようにしろという考えを持つことにデメリットは感じない

老子、やはり強いなと思う一方で老子と何かの組み合わせのハイブリット思想は新しいイノベーションを生み出すように感じる

思想2.0のキーワードは明らかに水だ

変容する考え方

そんなのは誰しもが掌をグルングルンと回しながら持っているものでもあるがそれだけでは対応できないこともある

予め水の形の予測はできているに越したことはない

石や岩のような頑固さも時には機能することもある

ある程度の期間「ロック」という戦略・戦術は確かにある

あまりにも変容させ過ぎるとそれはそれで客観的なデータを取ることができないからだ

水はあくまでも上手くいかなかった時の保険であり考えは固定ができるなら固定させるに越したことは無い

なぜならあまりコロコロと形を変えすぎると効率が悪いからだ

柔軟さと頑固さ

そのどちらも上手く併せて使うことが重要になってくるだろう

ただ結局そんなのって大昔から基本とされていることで今更改めて言うことでも無いんだけどね

かなり古典的な戦術の再評価というか基本の振り返りに戻るという結論でした

ではまた