自己実現欲求と自己超越、ニーチェの超人思想

人間には5段階の欲求があるとマズローは語り

生理欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の5段階であると考えていた

 

簡単に言うと

①食欲、睡眠、排泄を満たす

②病気や怪我に対しての安全の確保、危機からの安心感

③家族や組織などのコミュニティに属すること、仲間がいる

④自分が周りから認められること

⑤自分が実現したいことを達すること、またはそれに成ること

 

大分ザックリだが要はそういうことだ

さらにその上として自己超越というものがある

自己の超越ってなんだよという話だが

ザックリ書くと「他者の為になる行動がとれる」や「ボランティア精神」というものに近い

それじゃああまりイメージというか意味が入ってこない

それの何が自己を超越してんだよと自分は思った

自己超越とニーチェの超人思想はまるで正反対の思想である

(そもそも同じものではないが)

2つの「超」思想の違いについて書くなら

ニーチェの超人思想は自己実現欲求に近く

マズローの自己超越欲求は弱者救済や奴隷道徳

要はキリスト教的な発想に近いものだ

それが良いとか悪いとかを言いたいんじゃなく要はこれが実践的にどういうことかと言うと

世界救いてえ、世界良くしてえ、困ってる奴救いてえみたいなことなのである

まんまヒーロー作品に出てくる主人公像そのままなことに気づかないだろうか

人間の行き着く先がアンパンマン仮面ライダー、アメコミヒーローなのか?

あいつら結構独善的で人間中心でしか物事を考えないような奴らじゃないか?

そこに果たして欠陥はないのか?

 

そしてつまりそこが人間の限界なのだろうか

 

つまり人間が人間以外のことを考えられるようになることこそが

マズローの「自己超越」を超えることになりはしないだろうか?

それが地球なのか宇宙なのか他の生物なのかは知らないが

異種族だろうと物だろうとそれについて考えられるようになる精神

 

だがニーチェならそんなのは精神の奴隷だと言い放つだろう

自己超越も自己超越超越もそんなのは間違っていると

ニーチェの指す超人とは「他者救済」の真っ向からの否定である

超人とは自分にあった生き方を生きている人だと

ニーチェは突き詰めれば老子に近い

無為自然和光同塵、上善如水、けんてき岩を穿つ、柔よく剛を征す、大器晩成

 

基礎を極め、次に新しい物を取り入れ、最後に自分にあった必要なものだけを残し洗練していく

それがニーチェの語る超人であり老子無為自然である

と勝手に解釈している

いかにマズローの自己超越が浅いかがよく分かる

心理学者に哲学者を超えることはできないんだなと

人を救うなんてことは不可能

自分を救うことだけを考えろ

それが一番無駄が無い

もはやその通りとしか言えない

自分を救えるのは自分だけ

 

自己実現と超人

長く険しい道のりでしかないが

それでも人が目指す価値はあるのだと思います

ではまた