規制について考察

規制を強めれば廃れる

 

あれをやってはいけない、これをやってはいけないという基準を強めたり増やすと善良な者まで窮屈となるという話

 

確かにそれは一部分において正しい

規制をかけるものは必ずそれらも熟慮した上で規制をかけなければ必ずシステムによって人は行動できなくなる

ただそれを理由に「規制をしない」或いは「規制を緩める」というのは無理な話である

 

どうしようもないクズがいるときの対処

個人間で問題を解決するときの対処と追撃

まずは問題になっている部分を解決させるのを急ぐべきだ

例えばポイ捨てされたタバコや火の始末を怠ったタバコから小火が起きてる時に「このタバコの不始末をした人間は誰だ!そしてそいつの処分をこれから行う!」とするのは確実に間違っている

この①の段階で行うべきは問題を失くすこと、つまりは火を消すだ

次に問題を解決した場合これをやった者への追及が始まる

そしてその人物が過去何度にも渡る注意喚起忠告があったにも関わらず再度問題を起こした場合の処分

これが非常に難しい

私の持論では「人は決して変われない」

歴史を見れば「異分子や異思想は排除、淘汰」されてきた歴史がある

では私に毛沢東のような権力が無い場合これをどうするのか

本音を言えば「排除したい」以外にない

しかしそれをできない場合私はどうすればいいのか

これはおそらくどこにでもある人類が持つ不変的な問題だと思う

姥捨て山、間引き、女性差別

それらが絶対で正しく良しとされていた時代が確実にあったのは事実である

そしてそれらは正しかった

なぜならば、それが合理的だったに他ならないからだ

いいものはいい、悪いものは悪い

それだけのシンプルな話だ

しかし社会はその合理性を失ってしまった今日

一体どうするのが今の合理的なのか考えたいと思う

・ぶん殴って殺す→お縄

・人数確保して通告→無視される

・話し合い→意味が無いから何度も問題が起きている

 

どうすればいい

どうすればこんな状況から合理性を取り戻せる

昔の人間たちが異分子を力で排除してきた理由がよく分かる

結局無能は殺すしかないのだ

どうあっても奴らは邪魔でしかないのだから排除する以外に解決策なんて無い

でもそれができない場合一体どうすれば

ああ、デスノートがあればどれだけいいか

 

・忘れる、許す→現実逃避、問題に蓋

・転職、逃げる→どこにいってもそんなクズはいる

・独立する→妥協点だがとりあえず問題は解決する

 

やはり自分が力をつけて独立するしかないのがよく分かる

それが一番最も非合理的だが合理的だ

アホと無能から逃れるにはアホと無能がいない場所へ行くしかない、作るしかない

私は果たして逃げ切ることができるのでしょうか